著者
上間 篤
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-10, 2008

千代金丸と称される琉球王朝ゆかりの貴重な刀剣が今に伝世する。史書を参照すれば、この刀の本来の所有者は、三山時代の終焉期に今帰仁勢力を率いた攀安知であったことが判る。ところが、攀安知とその勢力の氏素性の観点から、千代金丸の来歴に言及した論考はいまだ皆無に等しい。興味深いことに、近年今帰仁城跡及びその周辺域から出土した考古学史料には、元朝に仕えて江南地方の経営と治安維持に奔走した西域出自の騎馬軍団との繋がりを反映する文物が数多く含まれている。本稿では、騎馬文化との関わりを傍証するこれらの考古学史料を拠り所にして、片手持ちの拵えを特徴とする千代金丸の来歴の真相に迫る。There exists an outstanding sword named Chiyokanemaru, which is well known for its intimate connection with the first and second royal families of the unified kingdom of the Ryukyus. However, as history tells us, the sword was originally in the possession of Han Anchi, who once led the medieval militant force of Nakijin prior to the advent of a unified kingdom in Okinawa. Some features of Chiyokanemaru, especially its single-handed hilt and its thin and gracefully curved blade, suggest strongly that the sword has no connection whatsoever with the Japanese art of sword -smithing. Interestingly, the archeological record featuring some major characteristics of the medieval force of Nakijin reveals that the realm of predecessors of Han Anchi in Nakijin retained a certain ethnic and cultural heritage from the Alan Christian cavalry unit serving the Mongolian government in southern China in the Yuan Era. This paper intends to reconstruct a clearer image of the origins of Chiyokanemaru by examining its features from the viewpoint of the archeological finds mentioned above.
著者
上間 篤
出版者
名桜大学
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-10,

千代金丸と称される琉球王朝ゆかりの貴重な刀剣が今に伝世する。史書を参照すれば、この刀の本来の所有者は、三山時代の終焉期に今帰仁勢力を率いた攀安知であったことが判る。ところが、攀安知とその勢力の氏素性の観点から、千代金丸の来歴に言及した論考はいまだ皆無に等しい。興味深いことに、近年今帰仁城跡及びその周辺域から出土した考古学史料には、元朝に仕えて江南地方の経営と治安維持に奔走した西域出自の騎馬軍団との繋がりを反映する文物が数多く含まれている。本稿では、騎馬文化との関わりを傍証するこれらの考古学史料を拠り所にして、片手持ちの拵えを特徴とする千代金丸の来歴の真相に迫る。
著者
上間 篤
出版者
名桜大学
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-10,

千代金丸と称される琉球王朝ゆかりの貴重な刀剣が今に伝世する。史書を参照すれば、この刀の本来の所有者は、三山時代の終焉期に今帰仁勢力を率いた攀安知であったことが判る。ところが、攀安知とその勢力の氏素性の観点から、千代金丸の来歴に言及した論考はいまだ皆無に等しい。興味深いことに、近年今帰仁城跡及びその周辺域から出土した考古学史料には、元朝に仕えて江南地方の経営と治安維持に奔走した西域出自の騎馬軍団との繋がりを反映する文物が数多く含まれている。本稿では、騎馬文化との関わりを傍証するこれらの考古学史料を拠り所にして、片手持ちの拵えを特徴とする千代金丸の来歴の真相に迫る。
著者
上間 篤
出版者
名桜大学
巻号頁・発行日
no.13, pp.1-27,

かつて伊波普猷は、今帰仁という地名を手掛かりにして、中世にこの地域を勢力基盤とした武装集団の出自に関して独自の渡来人説を公表した。奇しくも近年の発掘調査から得られた出土史料は、押し並べて伊波のこの見解を支持する内容を具備したものとなっている。ところで伊波が唱えた渡来人説については、従来ややともすれば研究者の間でなおざりにされて来た感は否めない。それ故に、統一王朝以前の今帰仁勢力の氏素性を問う研究は遅々として進展せず、今日の状況を招いている。それはさておき、発掘された中世今帰仁勢力ゆかりの関係史料は、あまねく元朝に仕えて江南地方で活躍した西域出自の色目系騎馬軍団との関係を傍証する内容を孕んだものとなっている。本稿では、伊波の見解を再考し評価する観点から、指摘した関係史料及びそれと不可分の関係にあると判断される元朝配下のアラン騎馬兵団について考証し、従来謎とされてきた攀安知とその家臣団の民族的出自の解明を目論む。
著者
上間 篤
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.10, pp.33-40, 0005

元朝治下では、あまたの西域出自の騎馬民族が王朝の治安維持と権益の保護を目的として江南地方一帯に配置された。面白いことに、かかる騎馬民族との関わりを彷彿とさせる遺物が、今帰仁城跡から出土した発掘史料の中に散見される。それらの中には、青花と呼ばれる元代の陶器の側面に騎馬の戦士をあしらった図柄なども存在する。本稿は、問題の図柄に看取される携行品を手掛かりにして、この騎馬戦士の氏素性に迫る。In the Yuan Era in China, numerous equestrian peoples from such regions as around the Caspian Sea and Central Asia were employed and stationed in southern China to keep law and order as well as to protect political and economic interests of the dynasty. Interestingly, there exists, among the excavated items from Nakijin Castle, the image of a horseman on a piece of porcelain called seika belonging to the Yuan period. This paper intends to trace the ethnic background of this horseman by referring to the items that he carries.
著者
上間 篤
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-19, 2006

近年今帰仁城跡の郭内から、統一王朝以前にこの城を本拠とした勢力の出自に関係すると見られる品々が出土している。かかる出土物の中で生活、宗教、軍装備、娯楽、装身具などと関わる品目は、一様に元朝に仕えて江南地方で活躍した西域出自の色目人との関わりを示唆する特徴に彩られている。関係する出土物の一つに異色の十字紋をあしらった青花と呼ばれる元朝期の器が存在する。本稿では、この十字紋の装いに看取されるギリシャ趣味及び騎馬文化の要素を手掛かりとして、この十字紋と元朝期の江南地方に駐屯した色目系騎馬軍団、なかんずくキリスト教徒勢力として名を馳せたアラン(阿速)衛都兵団、との関係について考証する。A number of excavated items from the site of Nakijin Castle clearly reveal that the ruling clan occupying the castle prior to the advent of a unified kingdom in Okinawa consisted of a highly sophisticated militant group of men of foreign origin. Among the excavated items relating to life, religion, military equipment, entertainment, ornament and so forth which suggest their distinct connection with the Yuan period, there exists the image of a Christian cross drawn on a piece of porcelain. This paper traces its origin and background from the stand point of an equestrian people of Iranian stock called As who were Christians and played a significant military role as well in southern China throughout the Yuan Era.
著者
上間 篤
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.4, pp.1-9, 1998

本小論は、アブデラマン三世(911年~961年)の寵臣≪ハスダイ・イブン・サプル≫の幾多の卓越した功績と業績をふまえて、中世スペインのイスラム教徒社会におけるユダヤ系住民の社会的地位について考察し、当時としては超人的とも言えるハスデイの働きも究極的にはアラブ支配体制の障壁を突き崩すまでには至らなかった内実を考える。This short paper examines the social status of the Jews in Al-Andalus through the life of a distinguished Jew named Hasday Ibn Saprut, who served in numerous outstanding ways in the court of Abderraman 3(911-961). By observing various aspects of Hasday's major contributions and achievements, the paper has tried to reveal what the Jews of the time could do and what they couldn't in Al-Andalus due to their ethnic background.