著者
下岡 絵里奈
出版者
国立大学法人 琉球大学島嶼地域科学研究所
雑誌
島嶼地域科学 (ISSN:2435757X)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.75-94, 2022 (Released:2022-06-30)

1840年代から50年代にかけて滞琉した計7人のフランス人宣教師は江戸幕府とフランスが外交関係を樹立するまでの間,琉球王国で琉球語,中国語,日本語の習得に励んでいた。日琉関係を隠蔽する琉球王府は異国人の語学学習に非常に消極的であり,1844年から1846年まで滞琉したフォルカードはほぼ何の支援も得られなかった。後任のルテュルデュとアドネはセシーユ提督の力添えもあり語学師匠といくつかの学習教材を手に入れることができた。1850年代になるとフランス人宣教師達は前任者達の学習成果を得た上で来琉しており,1855年11月24日の琉仏協定締締結後は語学師匠は勿論,王府から支給された中国語や日本語の様々な本を使って語学力の向上を図っていた。