著者
中川 明博
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.9, pp.73-96, 2011-03-28

「三宅剛一差出・田辺元宛書簡」は、昭和期を代表する哲学者三宅剛一(1895 ~ 1982 年)が、母校京都大学の恩師田辺元(1885 ~ 1962 年)に宛てた書簡を、ご遺族の了解の上翻刻し、必要な校訂を加えたものである。書簡は1924 年から田辺の死の3 年前の1959 年までの間に投函されたもので、それは三宅の東北帝国大学助教授時代から、ドイツ留学、戦後の京都大学教授時代を経て、昭和30 年代の学習院大学教授時代に及ぶ。 これらの書簡は、東京教育大学教授、学習院大学教授を歴任した哲学者下村寅太郎博士(1902 ~ 1995 年)が生前保管していたものである。下村の膨大な遺品に含まれていた多数の田辺元宛書簡類のうち、三宅剛一差出の全15 通が本書簡である。 本書簡を通じて、私たちは日本を代表する二人の哲学者の間に育まれた知的交流の一端を伺い知ることができるだけでなく、時に率直に師の意見を求め、忌憚なく師の思想を批判する文面から、三宅剛一における哲学的態度のあり方を見て取ることができるだろう。
著者
中川 明博
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.9, pp.73-96, 2010

「三宅剛一差出・田辺元宛書簡」は、昭和期を代表する哲学者三宅剛一(1895 ~ 1982 年)が、母校京都大学の恩師田辺元(1885 ~ 1962 年)に宛てた書簡を、ご遺族の了解の上翻刻し、必要な校訂を加えたものである。書簡は1924 年から田辺の死の3 年前の1959 年までの間に投函されたもので、それは三宅の東北帝国大学助教授時代から、ドイツ留学、戦後の京都大学教授時代を経て、昭和30 年代の学習院大学教授時代に及ぶ。 これらの書簡は、東京教育大学教授、学習院大学教授を歴任した哲学者下村寅太郎博士(1902 ~ 1995 年)が生前保管していたものである。下村の膨大な遺品に含まれていた多数の田辺元宛書簡類のうち、三宅剛一差出の全15 通が本書簡である。 本書簡を通じて、私たちは日本を代表する二人の哲学者の間に育まれた知的交流の一端を伺い知ることができるだけでなく、時に率直に師の意見を求め、忌憚なく師の思想を批判する文面から、三宅剛一における哲学的態度のあり方を見て取ることができるだろう。