著者
中西 久味
出版者
新潟大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、唐末から北宋の慶暦年間(1041-1048)ころまでの仏教の動向について、儒教との交渉から考察したものである。具体的には、北宋時代に仏教の立場から儒教を摂取し儒仏一致を説いたとされている、天台宗山外派の智円『閑居編』および禅宗雲門宗の契嵩『鐸津文集』『來註輔教編』を取りあげた。ただし前者の智円では、それほど体系的な議論が展開されていないため、主として契嵩の護法思想について考察した。契嵩の議論も首尾一貫しているわけではないが、第一に仏教は勧善によって「治政」に寄与すること、第二に仏教は「性命の深奥」を示して死生の超越へと導くことを説き、この二点によって仏教の擁護をはかっていることを指摘した。また、その議論は「心」「道」「教」を軸として展開されていることを点検した。さらに契嵩の背景となっている思想について探究し、仏教については、一心法界や三界唯心を説く中唐の澄観・宗密系統の華厳教学の影響を受けていることを指摘した。これは五代の呉越の地域に天台宗とともに盛んであった仏教である。一方、儒教については、その根本的な思想を中庸・皇極などの中道と捉えているが、これは隋の王通『中説』、および、その阮逸註に依拠していることについて考察した。また当時湖州杭州一帯に広まっていた胡〓などの儒教が反映されている可能性を指摘したが、この儒教はやがて勃興する二程子の道学と関連する。後世の模範となった契嵩の護法論は、呉越の地域に継承されていた仏教と、同じくこの地域で胎動しつつあった儒教との出会いによって生まれたものと考えられる。