2 0 0 0 秋葉信仰

著者
中野東禅 吉田俊英編
出版者
雄山閣
巻号頁・発行日
1998
著者
中野 東禅
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.156-164, 1991-04-20 (Released:2017-04-27)

1.仏教における生命の見方は四大縁起と五蘊縁起,命根等にみることができる。2.生の始まりについては,胎内五位に,生命の終りについては寿・煖・識の消滅としてとらえられている。3.死に対する態度は,生命と死に対する智恵と,事実の受容と,迷いと恐怖を輪廻しない解脱が求められる。したがって脳死を死と認められるのも,臓器提供も智と解脱においてなりたつといえる。4.こだわりか,解脱かは,恐怖心や関わり方によって異ってくる。民俗仏教はこだわりを再生するが,仏教的視点を成り立たせる諸条件がそろえば,解脱としての脳死の受容,臓器提供はなりたちうるといえる。
著者
中野 東禅
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.154-159, 2004-09-17

ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の医学利用につて、法律はできたが、哲学的な論考が十分尽くされたとは思えない。あっても、浅薄な一般論で、生命の発生段階に立ち入っての人間考察になっているものは少ない。人間の識の構造を考察した仏教の「唯識思想」では、自我を成立させる根源的な能力を「阿頼耶識」という。そこからヒト受精胚は自立した人間かどうかを考察したい。特に生命の最初期の胚は、生命の全体を包含する情報を持つが、いまだ、身体の各機能へと分化してはいない。また、人として「自立」するのは母胎などの必要な環境との互縁で成立するが、その互縁が成立していないのであれば、自立した生命とは言えない。そうした点から可能態としての生命と、部分化して個体として自立する生命とを分けてみる必要があるということを論考したい。