著者
串田 久治
出版者
大阪府立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

本研究は彗星と流星の観測記録ととともに生まれる「予言」記録を整理することによって、これまでの一連の研究で明らかにした古代中国の天文学と「予言」の政治学を更に補強し、古代中国の「予言」が当時の政治や社会を動かす原動力となっていたことを解明して、董仲舒の災異説の現実的役割を中国古代社会思想史上に位置付けることにある。古代中国人が五惑星の異常運行に劣らず恐れたのは彗星と流星の出現・消滅であった。その出現と消滅に、古来為政者が無関心ではいられなかったのは、自然界と人間世界との相関関係を受け入れ、天体の神秘は地上の政治に対する天の意思表示であると考える古代中国では当然のことである。このことは、中国で天文学が科学としてよりも国家占星術として発展していった事実とも符合する。ところで、董仲舒が儒教国教化のアンチテーゼとして提唱した災異説がそれ以後の社会に多大な影響を与えたことは周知の事実であるが、災異説が広く受け入れられて社会に定着するには、言説だけでは不充分である。言説を理解することと納得することとは同じではない。誰もが目にすることのできる神秘的現象によって現実にあった政治的・社会的事件・出来事が説明され、その合理性が納得されて始めて災異説の言う「天の譴責」は為政者に対して意味を持つ。しかし、前漢末、讖緯説の隆盛とともに災異説が本来の批判精神を喪失すると、彗星・流星の出現は「予言」を創出し、五惑星の異常運行にまつわる「予言」が果たしたと同じように、災異説の批判精神を見事に継承して人間社会への警鐘として機能し続けたのである。