著者
丸山 義昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.8, pp.54-64, 2012-08-10 (Released:2017-11-22)

「羅生門」「山月記」、それぞれの〈語り方・語られ方〉を読むことで、物語内容をどう対象化していけるか。どのような問いかけによって、生徒の読みを揺さぶることができるか、「羅生門」では生徒の読みを検討しながら、授業を進めた。「山月記」では李徴の語りと、作品全体の語りの双方を相対化する授業を行った。語り手の、登場人物に対する見方、人物との距離を明らかにすることで、何が浮かび上がってくるのか。授業の概要と、考えていることの報告である。
著者
丸山 義昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.15-25, 2013-03-10 (Released:2018-03-16)

中学校の長期安定教材「走れメロス」(太宰治)は、その劇的な展開、一見明快なテーマ、スピード感のある文章、漢語の多用と文語調の格調高い言い回しなどによって、多大な人気を保ち続ける一方で、さまざまな作品の瑕疵(たとえばメロスの人物像をめぐって)が指摘され、好きになれないという読者も少なくない。いったい、この作品をどう捉え、どのように授業で読んでいったらよいのか、考えこまざるを得ない。そこで、〈物語〉と〈小説〉の違いを念頭に置きながら、特に田中実氏の言う〈近代小説=物語+語り手の自己表出〉という観点に立ちながら、「走れメロス」を再読していきたい。〈語り手の自己表出〉を読むことは、〈機能としての語り〉を問題にすることである。〈第三項〉=〈原文〉の影の働きを前提にして読んでいかなければ、読みは常に〈物語〉を補完する方向にしか向かわない。近年の論争点である、いわゆる「悪い夢」問題は、「走れメロス」の〈機能としての語り〉をどう捉えるか、その〈語り〉追究の端的なあらわれである。読み手(主体)と読み手が捉える作品(客体)という二項の図式を前提にしているのが、従来の「走れメロス」論である。〈物語〉と〈小説〉の違いとは何かを再考しつつ、これまでの作品論・教材研究に見られる、読みの〈制度〉を明らかにした上で、読み手(主体)と捉える客体と客体そのものという三項を前提にした読みへと転轍をはかっていきたい。