著者
丸毛 美樹
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.19-33, 2015-08-01 (Released:2017-07-21)
被引用文献数
1

2005年から2006年にかけて『ユランズ・ポステン』を発信源として起きた「ムハンマドの風刺画」問題が、今回は『シャルリ・エブド』を中心として繰り返された。この問題をめぐって、「表現の自由」やイスラームに関する様々な議論がわき起こった。本稿では、「表現の自由」をめぐる問題、イスラーム世界の現状、フランス社会におけるムスリムの状況を概観する中で、主として風刺の成立する枠組みという観点から「ムハンマドの風刺画」問題について考察する。今回の事件において問題とすべきなのは「表現の自由」とイスラームという宗教との対立ではない。風刺は弱者を抑圧する力ではかなわない相手(権力者や権威)の悪行や腐敗、矛盾などを暴くために用いられる、機知と悪意の融合した抵抗の表現である。すでに社会的排除に苦しんでいる人々をただ愚弄することのみが目的のように見える、社会的弱者に向けられる悪意の表現は、嘲笑のための表現にしかならない。「ムハンマドの風刺画」はそもそも風刺として成立していなかったのだと言えよう。
著者
丸毛 美樹
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究
巻号頁・発行日
no.22, pp.19-33, 2015-08-01

2005年から2006年にかけて『ユランズ・ポステン』を発信源として起きた「ムハンマドの風刺画」問題が、今回は『シャルリ・エブド』を中心として繰り返された。この問題をめぐって、「表現の自由」やイスラームに関する様々な議論がわき起こった。本稿では、「表現の自由」をめぐる問題、イスラーム世界の現状、フランス社会におけるムスリムの状況を概観する中で、主として風刺の成立する枠組みという観点から「ムハンマドの風刺画」問題について考察する。今回の事件において問題とすべきなのは「表現の自由」とイスラームという宗教との対立ではない。風刺は弱者を抑圧する力ではかなわない相手(権力者や権威)の悪行や腐敗、矛盾などを暴くために用いられる、機知と悪意の融合した抵抗の表現である。すでに社会的排除に苦しんでいる人々をただ愚弄することのみが目的のように見える、社会的弱者に向けられる悪意の表現は、嘲笑のための表現にしかならない。「ムハンマドの風刺画」はそもそも風刺として成立していなかったのだと言えよう。
著者
丸毛 美樹
出版者
日本笑い学会
雑誌
笑い学研究 (ISSN:21894132)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.98-112, 2014

プリーモ・レーヴィは、アウシュヴィッツ絶滅収容所から生還した化学者として作家となった。レーヴィは戦後語り手・証人としての活動を精力的にこなしながら、化学者としての仕事を続けつつ、作家としても高く評価される作品を生み出してきた。鉛のように重い現実に向き合いながらも、プリーモ・レーヴィはなぜか各所でユーモアを表現している。なぜそのようなことが可能なのか。どのような意味をもった行為なのか。それを探るのが本稿の目的である。本稿では、アウシュヴィッツに関する古典的名著である『アウシュヴィッツは終わらない』、アウシュヴィッツからの生還者が普通の生活を取り戻す過程を描いた『休戦』、初の創作短編集である『天使の蝶』、レーヴィの存在の多重性によって成立した『周期律』の四作品をとりあげて検討する。レーヴィは、ユーモアを活用することで絶滅収容所の世界を相対化し、ユーモアを介して失われた世界とのつながりを取り戻している。ユーモアは、特定の信仰や政治信念をもたない人間が極めて困難な状況に直面した際に頼れる、解放の強力な武器であると言えよう。