- 著者
-
久世 夏奈子
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.50, pp.143-189, 2014-09
本論では、一九二八年十一月から十二月に日本で開催された「唐宋元明名画展覧会」について、いわゆる「外務省記録」を中心に用いて考察する。 「唐宋元明名画展覧会」は「日華聯合絵画展覧会」の主催団体であった東方絵画協会と、同展覧会へ「対支文化事業」より助成費を支出していた外務省関係者との間で発案され、事実上東方絵画協会によって実施された。当初は第五回日華聯合絵画展と前後して開催予定であったが、中国側会員間の内紛により同展が延期されたために単独で開催された。 中国人に対する賛助・出品交渉は、中国大陸において国民革命軍による(第二次)北伐の開始からその完成(北京政府の消滅)を経て、(南京)国民政府が新体制を確立するまでと同時期に行われた。特に北伐開始直後に日中の軍隊が衝突し(済南事件)、その解決交渉が十カ月に及んだだけでなく中国では対日不買運動が盛んとなったが、中国人収蔵家と国民政府首脳が出品と賛助に同意して開催が実現した。 展覧会への出品点数は、中国人三百点強、日本人三百点弱、合計六百点超である。中国人出品者は旧北京政府の閣僚経験者、画家、実業家が多数を占める一方、日本人出品者は実業家が半数近くを占め、古寺・旧大名家・公家、勲功華族も含まれた。伝称作者の時代では明代が最も多く四割以上、宋代・元代を合わせて九割近くに上り、清代・五代・唐代が若干含まれた。その内容は当時の日中における収蔵内容の差異だけでなく、日本における新旧収蔵家の交代をも反映した。 結論として、「唐宋元明」展は第一に近代日本における中国絵画受容の論点より見れば、戦前における新来の中国絵画紹介の集大成であり、日本人の中国絵画観の修正を決定づけた。第二に近代日中関係史における文化外交の論点より見れば、近代以降の複雑な背景と多彩な陣容からなる日中双方の官民の利害に十分に一致し、日本の対支文化事業の明白な成功事例であった。