- 著者
-
五十嵐 茂
- 出版者
- 日本質的心理学会
- 雑誌
- 質的心理学研究 (ISSN:24357065)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, no.1, pp.242-262, 2019 (Released:2021-04-12)
自己エスノグラフィは,個人的な生の経験が,自分自身の思考,感情,内面の葛藤を含む形で記述される。そこ
にはその解釈を助ける理論や文化が組み込まれる。本稿において分析されるのは,編集者として活動してきた著
者が,印刷会社に転職した経験の中で起きた出来事である。その職場で二種類の時間と直面する。それは,出版
社における編集者の仕事を支配する能動的企画的な時間と印刷会社におけるマンアワーコストという企業原理が
支配する時間という,二つの異質な時間であった。そこにおいて,筆者の編集者としてのキャリアは激しく揺さ
ぶられる。その経験を分析し,自己のまとめ上げにかかわる二つの感覚の対抗と葛藤を取り出す。リクールは,
物語において意味を生み出す過程を統合形象化として分析した。それは単なる出来事の羅列から,一つの物語を
作り出す意味の取り出しである。彼が分析した「意味論的空間」と呼ばれるそれは物語の成立を左右する。自己
物語においてその空間を生み出すのは,自己のまとめ上げによって生み出される〈まとまりある自己〉である。
そしてそれが生み出す意味は,現実の社会関係におけるポリティクスの渦に巻き込まれる。そこで生まれる〈自
己まとまりの崩されと回復〉が,自己エスノグラフィのドラマを生み出す。そこに働いているのは〈意味の崩さ
れと回復〉の文脈である。