- 著者
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井上 友莉子
- 雑誌
- 人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
- 巻号頁・発行日
- no.33, pp.109-128, 2020-01-31
空海卒後まもなく、『続日本後紀』に空海の卒伝が記された。そこには「時有(二)一沙門(一)。呈(二)-示虚空蔵求聞持法(一)」とあり、空海に虚空蔵求聞持法を伝えた僧の名は明らかにされていない。しかし、後世『二十五箇条遺告』や『弘法大師行状集記』など、多くの空海の伝記が作成され、いつの頃からか「一沙門」が三論宗僧勤操とされるようになる。なぜ三論宗僧が空海の師とされたのか。それには真言宗寺院でありながら、三論宗と深い関りを持っていた醍醐寺が関係していると考えられる。本稿は、醍醐寺僧の中でも、三論宗の年分度者を初めて醍醐寺に置いた貞崇に注目し、虚空蔵求聞持法修学説話の成立過程とその意義について述べる。