著者
浅岡 悦子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.68-44, 2017-01-31

卜部氏の職掌は亀卜を行うことだけではなく、大祓にも従事していた。卜部氏の氏文である『新撰亀相記』では卜占の起源のみでなく、大祓の元となったスサノヲ追放神話を詳しく述べ、卜部氏の関わる祭祀の起源を説く。亀卜・大祓などの神祇祭祀に供奉していた卜部氏は、『新撰亀相記』や『延喜式』によると伊豆・壱岐・対馬の三国の卜部氏から取られた卜部である。この三国の卜部氏の系譜には異同や混同が含まれるが、概ね中臣氏と同祖と見て問題ない。宮中の卜部は宮主―卜長上―一般の卜部という昇叙形態をとっており。『養老令』の段階で宮主三人、卜長上二人、一般の卜部最大十五人が取られていた。『新撰亀相記』では卜部の他に中臣・忌部などの祭祀氏族がわずかに確認できるが、『新撰亀相記』に記される神話の殆どが、卜部が関わる神祇祭祀について触れたものである。
著者
樋澤 吉彦
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.45-57, 2020-07-31

本稿は、日本精神保健福祉士協会(協会)より提案されている“Psychiatric Social Worker”(PSW)から“Mental Health Social worker”(MHSW)への名称変更の妥当性について、「社会福祉士」とは別建てで制度化した精神保健福祉士法(P法)制定時の根拠に焦点化したうえで、ごく基本的な事項の整理検討を行うことを目的としている。名称変更についてはむろん様々な意見があるものの、その契機として総じていえることはすなわちPSW の活動領域が「メンタルヘルス」領域全般に拡大しているという点である。この点は名称変更に対する是非とは別に概ね肯定的に了解されていた。この点をふまえたうえで、P法制定の経緯、及びその根拠について当時の厚生省の見解をもとに整理を行った。P法制定議論のなかで「求められていた人材」とはすなわち「医師、看護婦等の医療関係の有資格者」しかいない精神病院において「病棟を離れて病院内外を行き来するパイプ役として精神障害者の社会復帰を支える専門職種」、「精神障害者の社会復帰のために必要な医療的なケア以外の支援を行う人材」であった。またその「対象」は、「社会福祉士」との「住み分け」を意識されたうえでの、主に精神科病院に入院しているか、あるいは地域において生活しているかに関わらず「社会復帰の途上」(社会復帰を遂げていない)にある精神障害者であった。さらにその「業務の範囲」は、あくまで「社会復帰の途上」にある精神障害者が主として治療/支援を受けていることが想定される精神科病院、社会復帰施設、そして保健所等の行政機関が想定されていた。協会によるMHSW への名称変更の根拠の一つとして、精神保健福祉士の業務が「医療的支援」及び「メンタルヘルス課題をもつ国民」全般に対する領域にまで「拡大」してきている点があげられているが、当時の厚生省が明言しているように、少なくともP法制定時の議論ではメンタルヘルスは国家資格としての「精神保健福祉士」の活動領域としては想定されていなかった。その後、2010(平成22)年の障害者自立支援法改正の一つとしてP法改正がなされたが、本改正に至るP法改正検討会では精神保健福祉士の領域拡大がうたわれており、結果的に従来役割に「精神障害者の地域生活を支援する役割」が加えられる方向で改正が行われた。すなわち「社会福祉士」とは別建てで必要とされた精神保健福祉士は端的に「メンタルヘルス」領域における「ソーシャルワーカー」となったのである。P法制定時の経緯とともに「社会福祉士」との「住み分け」の課題を棚上げしたうえで、現時点におけるPSW の活動をそのまま表すのであれば、「MHSW」の略称は正しいという結論となる。
著者
牧野 由佳
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.59-69, 2018-07-14

現在、多くの祭りや民俗芸能の現場においては、少子化や過疎化、さらに若者の関心がそれらに向かないことによる担い手不足が起こっている。氏神の祭祀や民俗芸能は、以前は若衆組や青年団といった青年組織が担う場合が多かったが、現在は高齢者が祭りを運営したり、子ども会との連携によって担い手を維持する地域が増えてきている。そのような中、愛知県知多市で継承される「朝倉の梯子獅子」は、現在も青年組織が演技等の担い手の中心として活動をしている。だが、朝倉の青年組織の形態はこれまで変化せず維持されてきたのではなく、社会情勢等に影響を受けつつ、柔軟に対応し、組織を再構成しながら現在に至っている。本稿は、その朝倉の青年組織の再構成の様相を示し、形態的特徴を明らかにしようとしたものである。
著者
谷口 由希子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.63-75, 2016-01-31

本論文は、子ども時代の貧困の持続性について考察する。具体的には、子ども時代に児童養護施設などの社会的養護を経験し、なおかつ施設退所後にホームレス生活を経験した11名を対象にインタビュー調査を行い、子ども時代からホームレス生活に至るまでの生活史を分析した。その結果、第1に、ほとんどのケースにおいて社会的養護からの離脱後には施設や家族との関わりはなく、勤務先の寮などで生活している。保護者も頼ることができず「帰る場所がない」居住環境にあるため離職がホームレス経験に直結している。第2に、子ども時代から大人になりホームレス生活に至るまで社会的養護の事由となる家族基盤の脆さは一貫してある。すなわち、子ども時代は社会的養護というシステムに包摂されるが、社会的養護が発生する問題自体は、子ども時代を経て大人になった時点においても解決されず、施設での生活や高校卒業等の教育歴を獲得することによっても生活の立て直しが容易ではないことが示唆された。
著者
柴田 英知
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.38, pp.47-81, 2022-07-31

2021 年9 月30 日に通水60 周年を迎えた愛知用水は、世界銀行の融資を受けた戦後初の地域総合開発事業であり、日本の経済発展を支えた社会基盤のひとつである。近年、望ましい官民連携のあり方を考える参加型プロジェクトとして再評価されるべきとの声もある。愛知用水の発起人である久野庄太郎は、今日でこそ、愛知用水の生みの親として顕彰されているが、一時期、愛知用水建設推進運動から追放され表舞台から消えていた。その後、久野が愛知臨海工業地帯の誘致や愛知海道(第二東海道)という地域開発事業の推進などに従事したことは、『人間文化研究』第37号の拙稿にて明らかにした。 本稿は、その空白期間、久野の会社倒産による破産や愛知用水の建設推進運動からの追放、西田天香が主宰する一燈園への隠栖と、その後の心境の変化などについて考察する。特に、久野が執筆した小冊子『光水(旅行)漫録』が書かれた経緯と内容に着目する。 考察の結果、1954年に破産してから1961年に免責になるまでの期間は、久野にとって空白の期間ではなかったことが判明した。愛知用水の建設推進運動から追放され、一燈園への隠栖による内省の時期をへて、久野は、愛知用水はつくるだけでは「駄目」で、それを「保全する必要と仕方」が大切であるとの「大乗愛知用水観」に達した。それをふまえて、愛知臨海工業地帯の誘致、三町合併、佐布里池の建設推進などに新たな気持ちで取り組んだ。そのために活用されたのが『光水(旅行)漫録』であった。 存在が確認されている『光水(旅行)漫録』は、16冊のB6、A5あるいはB5判の冊子で、大きく4つのテーマに分類される。久野の「大乗愛知用水観」にもとづく愛知臨海工業地帯の誘致が中心テーマだが、他にも、農業開発地域の視察報告、愛知用水への提言、具体的には地域住民の人心開発や愛知用水公団や愛知用水土地改良区への提言、受益農民向けの営農方法の改善、そして、久野が新たに立ち上げた献体検眼団体である不老会の紹介などが語られた。これらの語りは、久野の内省と農業開発の枠をこえた地域総合開発観の深化であった。 この経験が、1962年10月からの個人雑誌『躬行者』の発行や、愛知海道(第二東海道)の建設推進への伏線となる。今まで言われてきた「愛知用水の久野庄太郎」から大きく「地域総合開発の久野庄太郎」に舵を切ることになったのが、この空白の期間であった。
著者
西山 亮介
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.36, pp.192-228, 2021-07-31

平安時代の僧浄蔵は三善清行の子で多様な霊験譚を持つ。歴博本は従来未検討の浄蔵伝であり、本稿はこれを紹介、検討するものである。奥書によれば、歴博本は長暦三年(一〇三九)に僧慶深が書写した「浄法寺一切経見定目録」の紙背にあった浄蔵伝を、幕末期に国学者谷森善臣が書写したものという。本稿では、奥書にいう「僧慶深」や「浄法寺一切経」について検討を加え、特定の可能性を示した。また、他の浄蔵伝と比較することで、次の三つの特色を明らかにした。一、歴博本は、他の伝と酷似する部分を持つ。二、歴博本には複数の明らかな誤脱が存する。三、歴博本によって他の伝を校訂できる箇所がある。最後に、歴博本の影印及び翻刻を掲げる。
著者
井上 友莉子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.33, pp.109-128, 2020-01-31

空海卒後まもなく、『続日本後紀』に空海の卒伝が記された。そこには「時有(二)一沙門(一)。呈(二)-示虚空蔵求聞持法(一)」とあり、空海に虚空蔵求聞持法を伝えた僧の名は明らかにされていない。しかし、後世『二十五箇条遺告』や『弘法大師行状集記』など、多くの空海の伝記が作成され、いつの頃からか「一沙門」が三論宗僧勤操とされるようになる。なぜ三論宗僧が空海の師とされたのか。それには真言宗寺院でありながら、三論宗と深い関りを持っていた醍醐寺が関係していると考えられる。本稿は、醍醐寺僧の中でも、三論宗の年分度者を初めて醍醐寺に置いた貞崇に注目し、虚空蔵求聞持法修学説話の成立過程とその意義について述べる。
著者
やまだ あつし
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.38, pp.149-166, 2022-07-31

台湾大学にある田代安定の蔵書と手書き資料は現在、田代安定文庫として外部公開されており、手書き資料はWEB 上の画像として閲覧することができる。しかしながら田代の筆跡は読み辛く、従来の研究は手書き資料群をまとまって読み解いてはいない。本論は、田代の台湾総督府民政局殖産部拓殖課での活動でも、特に『台東殖民地予察報文』と関係の深い台東について記載された、19 世紀末作成の手書き資料群をまとまって読み解く試みである。それによって、田代の調査と報告書編集の過程、そして成果物である『台東殖民地予察報文』の問題点を明らかにする。本論に関係する田代の手書き資料群は、フィールドノートと収集文書に分かれていた。フィールドノートは、台東に居住するピュマ族やアミ族等の言語に関する語彙ノートの系統と、調査日誌の系統とに分かれる。収集文書は、当時の台東の民政機構が収集した資料を田代らが書き写したメモと、田代自ら収集し分析した調査データ、および報告書類がある。収集文書のデータは後に報告書類とともに『台東殖民地予察報文』としてまとめられたが、当初の調査の重要部分であった「原野」の記述が『台東殖民地予察報文』ではばっさり削られるなど、手書き資料群が『台東殖民地予察報文』にまとめられるまでに大幅な改編があった。『台東殖民地予察報文』で述べられた構想に限らず、田代の構想が当時の台湾総督府首脳部に取り上げられることは少なかった。『北海道殖民地撰定報文』など同種目的の報告書と『台東殖民地予察報文』の細部とを読み比べると、田代の計画の細部は、現実の殖民地開拓では成功し得ない構想が多い。それが恐らくは田代の構想が首脳部に取り上げられなかった理由であろう。
著者
野中 壽子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.77-84, 2019-01-31

保育内容や保育者の資質が同等と思われる同一市内の公立保育所のうち、園庭の広さが顕著に異なる2園について、幼児の身体活動量や活動内容及び運動能力を3歳から5歳まで縦断的に比較し、空間的環境が身体発達に及ぼす影響について検討した。午前中の活動中における1 時間あたりの平均歩数は、園庭の広い園が有意に多く(p<0.01)、3期を通してその傾向は変わらなかった。運動能力テストで両足跳びこしは有意差がみられたが、運動能力の両園の差は顕著ではなかった。しかし、園庭環境は運動能力に顕著な差はもたらしてはいないが、多様な動きの獲得に影響を及ぼすことが示唆された。
著者
樋澤 吉彦
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.34, pp.45-57, 2020-07-31

本稿は、日本精神保健福祉士協会(協会)より提案されている"Psychiatric Social Worker"(PSW)から"Mental Health Social worker"(MHSW)への名称変更の妥当性について、「社会福祉士」とは別建てで制度化した精神保健福祉士法(P法)制定時の根拠に焦点化したうえで、ごく基本的な事項の整理検討を行うことを目的としている。名称変更についてはむろん様々な意見があるものの、その契機として総じていえることはすなわちPSW の活動領域が「メンタルヘルス」領域全般に拡大しているという点である。この点は名称変更に対する是非とは別に概ね肯定的に了解されていた。この点をふまえたうえで、P法制定の経緯、及びその根拠について当時の厚生省の見解をもとに整理を行った。P法制定議論のなかで「求められていた人材」とはすなわち「医師、看護婦等の医療関係の有資格者」しかいない精神病院において「病棟を離れて病院内外を行き来するパイプ役として精神障害者の社会復帰を支える専門職種」、「精神障害者の社会復帰のために必要な医療的なケア以外の支援を行う人材」であった。またその「対象」は、「社会福祉士」との「住み分け」を意識されたうえでの、主に精神科病院に入院しているか、あるいは地域において生活しているかに関わらず「社会復帰の途上」(社会復帰を遂げていない)にある精神障害者であった。さらにその「業務の範囲」は、あくまで「社会復帰の途上」にある精神障害者が主として治療/支援を受けていることが想定される精神科病院、社会復帰施設、そして保健所等の行政機関が想定されていた。協会によるMHSW への名称変更の根拠の一つとして、精神保健福祉士の業務が「医療的支援」及び「メンタルヘルス課題をもつ国民」全般に対する領域にまで「拡大」してきている点があげられているが、当時の厚生省が明言しているように、少なくともP法制定時の議論ではメンタルヘルスは国家資格としての「精神保健福祉士」の活動領域としては想定されていなかった。その後、2010(平成22)年の障害者自立支援法改正の一つとしてP法改正がなされたが、本改正に至るP法改正検討会では精神保健福祉士の領域拡大がうたわれており、結果的に従来役割に「精神障害者の地域生活を支援する役割」が加えられる方向で改正が行われた。すなわち「社会福祉士」とは別建てで必要とされた精神保健福祉士は端的に「メンタルヘルス」領域における「ソーシャルワーカー」となったのである。P法制定時の経緯とともに「社会福祉士」との「住み分け」の課題を棚上げしたうえで、現時点におけるPSW の活動をそのまま表すのであれば、「MHSW」の略称は正しいという結論となる。
著者
佐野 直子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.91-117, 2017-01-31

本論文は、消滅の危機に瀕する言語(危機言語)の一つであるオクシタン語を用いてイマージョン教育を実施しているNPO団体であるカランドレートと、カランドレートの教員の養成を担う高等教育機関アプレーネの参与観察やインタビュー調査を通して、近代の「十全な<言語>」理念に対する批判的な検討を行うことを目的とする。多くの危機言語の復興運動は、幼少時からの育成のための学校教育が中心となってきたが、40年近くにわたって独自のイマージョン教育活動を続けているカランドレートでは、生徒のみならずオクシタン語で教える教員ですら当該言語の「母語話者」ではなくなっている。カランドレートの意義とは、幼少期からの言語習得による擬似的「母語話者」の育成や、「母語話者」によって社会全体で使用される「十全な<言語>」像の保持にあるのではなく、成人になってからでも当該言語を徹底して習得し、当該言語を使用することを職業とし、オクシタン語を次世代に伝えたいという強い欲望を持つ教師という「十全な話者」が作り出されることであり、欲望としての言語を効果的に使用する「特別な場」を提供することである。
著者
小野 純子
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.49-71, 2017-07-20

台湾は1895 年より約50 年間、日本の統治下に置かれた。その間台湾では同化政策がとられ、日本人の日本語による教育などが行われた。その政策は宗教面でも取られ、日本の国家神道を植民地に根付かせようと試み、50 年間で台湾各地には多くの神社が創建された。本論は、その中でも「嘉義」に注目する。嘉義は、1920 年の地方制度改正によって、台南州に組み込まれ格下げされた街である。本論では、1920 年代の嘉義「街」と共に歩んできた嘉義神社の創建を振り返り、当時の周辺学校や学生らとの関わりについて考察した。本論により、これまで別々に論じられてきた「街」「学校」「神社」のつながりが浮き彫りとなった。