著者
井上 早央梨
出版者
法政大学国際文化学部
雑誌
異文化. 論文編 (ISSN:13493256)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.155-173, 2014-04-01

本論文は、ブラジル日系移民の戦後の、いわゆる「勝ち組負け組抗争」についての今後の研究の前段階として、その歴史的背景を明らかにするためのものである。1908年、コーヒー農園における働き手不足の問題を抱えていたブラジルと、明治維新以降の人口増加で海外移民政策を打ち出していた日本政府の利害関係が一致し、ブラジル・サンパウロへ最初の日系移民が渡った。ブラジルにおいて日系移民は、渡航前の予想と異なる苛酷な労働条件に苦労したが、徐々に日系人自らが運営をするコロニアを建設し、主に農業面で功績を挙げ、日系人社会は大きく発展した。それぞれの日系人社会の中で日本人意識の再認識が起こると同時に、日系人一世は、二世に対しブラジル社会への同化教育も行うなど、帰国を願う日系人一世の葛藤がうかがえる。
著者
井上 早央梨
出版者
法政大学国際文化学部
雑誌
異文化. 論文編 (ISSN:13493256)
巻号頁・発行日
no.16, pp.17-36, 2015-04

本論文は、第二次世界大戦中の、ブラジル日系移民の置かれた情勢と社会的・文化的活動の考察を目的とする。1908 年にブラジル政府と日本政府の合意のもとに始まったブラジル移民は、1930 年代に絶頂期を迎えるが、その後のブラジル政府の政策と日中戦争の開始により移民数は減少する。日本が戦争において勢力を上げることでブラジル国内での反日の傾向が強まるなか、日系移民は独自のコロニアを建設し、ブラジルで生まれた二世への日本語教育や日本文化の保持に努めた。戦前と同様に、日本への帰国を願っていた日系移民にとって、第二次世界大戦において本国日本が勝利することは、彼らの帰還のための必要条件であった。日系移民にとって第二次世界大戦期は、帰国を目標としてきたそれまでの生活から、日本の敗戦によりブラジル永住を決意するまでの転換期といえる。