- 著者
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井口 文男
- 出版者
- 岡山大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2003
1 19世紀にイタリア統一の主体となったサルデーニャ王国においては、1848年の憲章により、カトリック教が国の唯一の宗教であり、既存の他の宗派(ワルドー派とユダヤ教)は寛容の精神により法律でもってその存在が認められ、他の宗派は法外のものとされていた。2 しかしながら、実際には、憲章公布と相前後して、ワルドー派とユダヤ教はもちろん他の宗派にもカトリックと同等の権利が付与されることになった。他方、カトリックに対してはその特権を剥奪する政策が実施されることになるが、これはサルデーニャ王国における自由主義的政治家の意向に即したものであった。3 まず、1848年法律第777号により、イエズス会が王国から追放されることになった。ついで、1850年には、教会裁判権、聖職者特権、教会庇護権が廃止され、教会法人に財産が蓄積される<死手>という制度が除去されることになった。さらに、1855年には、教会の役割を本来の霊的役務に限定し、従来行っていた広義の営利活動を禁止するとともに国家は教会に課税権を行使するようになった。そしてイタリア統一王国形成後の1866年には教会の資産を没収する法律が制定され、経済的にも国家が教会に優位することが明白になった。4 このようにしてイタリア自由主義国家においては、憲章の規定にもかかわらず、カトリック教は他の宗派と等しいものとされたが、普遍教会として特性から特別の配慮を受けることにはなった。すなわち、1871年に教皇と聖座の特権、国家と教会の関係を定める法律が制定された。これにより領土特権を喪失した教皇は、全世界のカトリック信者に対して霊権を自由に行使しえることにはなったが、教皇はこの法律を受け入れることはなかった。結局、この問題の最終的解決は1929年のラテラノ協定でなされることになる。