著者
井口 正寛
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1318-1324, 2020-11-15

Babinski徴候は、足底のやや外側を後ろから前にこすると、母趾が背屈する(原著では足趾が伸展する)徴候である(図11))。「錐体路障害」の存在を示唆する、最も名の知られた神経徴候と言っても過言ではない。フランスの神経学者Joseph Babinski(1857〜1932)が、後述する1896年のたった28行の論文2)で報告したことに端を発する。 この徴候は、医学書のみならず、芸術作品にも多く登場する。「シュール」の語源でもあるシュルレアリスムの創始者André Breton(1896〜1966)は、若き日にBabinskiのもとで医学の勉強をしていた時期があり3)、代表的な著作『シュルレアリスム宣言』(1924)4)には、「私はかつて、足の裏の皮膚の反射作用の発見者が仕事をしているところを見た」という形でBabinski徴候が登場する。また、谷崎潤一郎(1886〜1965)の小説『鍵』(1956)5)にも、Babinski徴候の描写が複数回みられる。新生児では正常でもBabinski徴候が陽性となるが、Babinski徴候が報告される400年以上前の中世の絵画にはすでに、足底の刺激やBabinski徴候の変法のような刺激で母趾が背屈していることが数多く描かれている6,7)。新生児が描かれた絵画にこの徴候を探すことは、筆者の美術館巡りでの楽しみの1つである。
著者
井口 正寛
出版者
東京女子医科大学学会
雑誌
東京女子医科大学雑誌 (ISSN:00409022)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.E86-90, 2014-01

ロマン派を代表する作曲家であるロベルト・シューマンはかつてピアニストになることを夢見ていた。ところが、右手の障害のため夢を絶たれ、作曲家を目指すことになった。彼の時代には、右手の障害の原因は不明であった。梅毒治療薬の副作用説、後骨間神経ニューロパチー説など、これまで様々な診断が議論されてきたが、現在では音楽家のジストニア説が最も支持されている。音楽家のジストニアは、演奏動作特異的な障害を生じる難治性の疾患である。音楽家の数%に発症し、発症した約半数の音楽家はプロの演奏家としての道を断念することになる。今日では治療法が進歩を見せる一方で、正しい診断を下されず、治療機会を逸する患者が多く存在すると推測される。本論文では、シューマンの右手に関する病歴を振り返り、右手の障害の原因及び、音楽家のジストニアについて検討する。