著者
伊東 久之
出版者
岐阜大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

鵜飼は飼い慣らした鵜をたくみに利用して魚を獲る漁法である。この漁法は中国と日本において盛んにおこなわれ、一部は東南アジアからインドまで広がっている。両国の鵜飼はほぼ、同類と思われてきた。そのため、日本の鵜飼は中国から伝わってきたとする考え方が一般的である。しかし、両者の間には大きな違いがあるのである。長江にそって中国南部に広く分布する鵜飼は、鮎を獲る漁ではない。中国に鮎はいないのであり、鯉科の魚を獲るのである。この獲物の違いは、鵜を獲る漁法と鵜の日常生活に大きな差をもたらしている。日本の鵜飼が夏に行われるのに対して、中国の鵜飼は冬をシーズンとしている。中国に限らず、鯉は年中川にいて、晩春に産卵する。中国ではこの時期を禁漁とする。一方、日本の鮎は秋になると産卵のために川を下り、春に子供が遡上するまでの間、川には魚の姿がほとんど見られなくなる。このことは日本の鵜飼の漁期が短かいという結果をもたらす。しかし、最も大きな問題は、魚が減少する冬の間,鮎をどうやって食べさせていくかを考えなければならないことである。鮎の越年方法を持たない鵜飼は、日本では成り立たない。これが中国の鵜飼と大きく異なる点である。こうした観点から、日本での鵜の越年方法を全国的に調べてみた。そこには三つの方法が見出される。一つは秋になると鵜を海に戻す「放鳥方式」。二つめは海辺に預ける「里子方式」。三つ目は鵜とともに漂泊の旅に出る「餌飼方式」である。このように、さまざまな越年方法が各地で編み出されているということは、この漁法の歴史の長さを感じさせる。また、中国からの伝来説も、単純な移入でないことがわかり、簡単に決めつけることができなくなった。ともかく、鵜飼が鵜と鮎の習性の中で営まれる巧みな技であることが再確認された。