著者
櫻井 優子 皆川 さおり 大滝 智子 伊藤 香代子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.54, pp.145, 2005

【はじめに】新潟県中越地震での栄養科としての対応について、地震発生直後から、日常の業務が行なえる状況になるまでを振り返り、災害時のマニュアル作成を検討してきた。地震発生直後の病院全体の動向と、対応や行動について検討した。<病院全体での動向>地震発生直後、対策本部が設置され、入院患者様を避難誘導した。病院の破損状況が明らかになるとともに復旧作業が開始される。<栄養科>地震発生直後に栄養科職員はガスの元栓を締めて避難した。落ち着き始めた頃に病院の調理室に戻った。地震発生が夕食時間であったため、夕食を食べていない患者様がいることを報告し、栄養科としてどのような対応をしたらよいか、指示をあおいだ。安全な使用が確認できたのは、電気のみ。水道水の供給があったので、水を確保した。電気炊飯器にてご飯を炊いて、食事をしていない患者様へのおにぎりの提供を始めた。軽食程度の食糧(クラッカー、パック牛乳、パックジュース、食パン等)も避難している患者様へ提供した。インスリン注射している患者様は食事を済まされていた。栄養科の事務室は本棚が倒れ、数台のコンピューターのラインが外れていた。バックアップしてあるMDを持ち出した後、コンピューターのラインを接続してなんとか稼動できることを確認した。災害時のマニュアルを探し出すことができず、他の栄養科の職員とも連絡が取れない状況だった。しかしながら、食事が提供できないという状況は避けなければならない。患者様にはもちろんのこと、徹夜で働いている病院職員の方々にも朝食を提供するために、電気炊飯器でご飯を炊いておにぎりを作ることとした。備蓄されていた食料品を全て倉庫から出して、翌日の昼食までの献立を考えた。食糧の援助を頂ける契約をしていた業者も被害にあっているために、充分な食糧の援助は困難な状況だった。蒸気の安全が確認できたので、蒸気釜でご飯を炊いて味噌汁を作ることができたが、通常通りの食事を提供できる状況ではなかった。都市ガスの安全供給が確認できるまで、プロパンガスを手配して頂き、通常の業務に戻ることが可能になったのは地震発生から4日目だった。このような状況であったことから、今後の課題と対策について検討を行っている。<今後の課題>1、「非常時持ち出し品」としてリュックサック等に用意してはどうか? →ラジオ、懐中電灯、タオル、軍手、ウエットティッシュ等2、災害時のマニュアルは書棚に入れず、見えるところに置いておいたほうが良い? →地震が発生した時に、書棚が倒れて書類を捜すことができなかった。3、備蓄食糧については、災害時のマニュアルに掲載した献立に従って最低でも2日_から_3日は必要ではないか? →支援物資が届くまでの間、ライフラインが使用できなくても入院患者様に提供できるものがよい。4、災害時マニュアルの充実 →ライフラインの利用可能な状況やその場合の対処方法など、実際の行動に即したマニュアルであれば、非常時でも迅速な対応が可能だと思われた。