著者
高山 義浩 西島 健 小林 智子 小澤 幸子 岡田 邦彦
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.66, 2007

【緒言】佐久総合病院は長野県東部の農村地域に位置するエイズ治療拠点病院である。1986年から2006年までに85人の新規HIV感染者の受診があったが、とくに最近5年間では39人と急速に増大傾向となっている。そもそも長野県は新規HIV感染が人口10万人あたり1.26人/年(2002-2006年)であり、これは東京都の3.02人/年に次いで第2位と重点的に対策すべき地域に国により指定されている。ところが、佐久総合病院の診療圏については人口10万人あたり3.90人/年となることから、実は長野県のなかでも都市部ではなく、とりわけ農村部においてHIV感染が拡大している実態が浮き彫りとなる。こうした状況を受けて、長野県では『信州ストップエイズ作戦』が2006年より展開しており、県民へのエイズ危機への周知とHIV検査への誘導が一定の成果を収めつつある。しかし、全県的なHIV予防と診療の取り組みにもかかわらず、そのフレームによって救われない人々がいる。それは、外国人、とくに無資格滞在外国人である。農村地域におけるHIV感染の拡大を止めるためには、日本人のみならず外国人へも公平に保健医療サービスを提供してゆくことが重要であると我々は考えている。第1報では、まず具体的症例からその実態を紹介する。<BR>【症例】42歳、タイ人男性。約10年前に来日し、肉体労働に従事している無資格滞在外国人。2005年10月より倦怠感と咳を自覚。11月中旬、近医受診したところ、肺に結節影を指摘され、結核を疑われると同時にHIV抗体検査を施行された。同陽性のため、翌22日、当院紹介受診となる。精査により、脳結核腫を含む播種性結核により発症したエイズ(CD4 43/μL)と診断し、4剤による抗結核療法を開始した。約3ヶ月の治療経過で結核は軽快したが、抗HIV療法を含むこれ以上の治療継続は医療費の面からも困難と判断し、2006年4月に現地医療機関への紹介状を持たせてタイへ帰国させた。しかし、現地では医療機関を受診しないまま経過しており、東北部出身の村において2007年1月に永眠されたことを確認した。<BR>【考察】佐久総合病院の診療圏には、長野オリンピックをきっかけとした出稼ぎ目的の流入により無資格滞在の無保険外国人が多く、最近は親族不明の経済困窮者が目立つようになってきた。こうした人々のなかには、HIV感染者もいるが、エイズ発症ぎりぎりまで受診行動につながらない者が多い。本症例もまた、医学的・社会的に困難なエイズ発症例であったが、佐久総合病院で結核を含む日和見感染症の急性期治療をおこなった。その後は帰国支援により治療継続を期待したが、現地の医療につなげることができなかった。本症例のように、エイズ発症で医療機関を受診しても結局は死亡させてしまう経験を繰り返していると、「病院へ行ってもエイズは死ぬ病気」というイメージを外国人らに定着させてしまい、さらに受診行動を鈍くしてしまう結果となる。これは、本人の救命のみならず、感染拡大防止のための介入チャンスをも失わせるものである。よって、さらに現地の医療事情を把握し、現地の適切な医療機関、また経験豊富なNGOと密に連携してゆくことが求められている。しかし同時に、増加している無資格滞在外国人の健康問題について、国もしくは自治体行政による包括的対応も期待したい。
著者
木田 秀幸 今野 武津子 高橋 美智子 近藤 敬三 飯田 健一 佐藤 繁樹 須賀 俊博
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.312, 2008

〈緒言〉<I>Helicobacter.pylori</I>(<I>H.pylori</I>)は、グラム陰性の螺旋様桿菌で胃内に感染し胃炎、消化性潰瘍、胃癌、胃MALTリンパ腫などの上部消化管疾患の病態に関与していることが明らかになっている。<I>H.pylori</I>の診断方法としては、血清及び尿中抗体測定(抗体)、便中抗原測定(HpSA)、尿素呼気試験(UBT)、迅速ウレアーゼ試験、病理組織学的検査、細菌培養などがある。唯一の直接的証明法である<I>H.pylori</I>の分離培養は、特異性に優れ菌株保存が可能なため抗菌薬の感受性検査や遺伝子学的解析を行うためには不可欠である。培養に用いる検体は胃粘膜生検が一般的であるが、我々は胃粘膜生検の他に胃液を検体とした<I>H.pylori</I>培養を1997年より行なっている。この10年間の培養経験と成績を報告する。<BR>〈対象と方法〉1997年3月から2008年3月までに腹痛を主訴に、当院小児科を受診し上部消化管内視鏡検査を施行した小児を対象とした。また、血清<I>H.pylori</I> IgG抗体(血清抗体)あるいは便中<I>H.pylori</I>抗原(HpSA)陽性患児とその家族も対象とした。<BR>患児95例は内視鏡検査と胃粘膜生検を施行し、その家族で<I>H.pylori</I>陽性の有症状者(既往も含む)にはインフォームドコンセント(I.C.)を得た後、82例に対し内視鏡下生検あるいは胃液を採取し培養を施行した。除菌後の検体を含む延べ培養総数は、289例(胃液培養111例、胃粘膜培養178例)であった。培地は<I>H.pylori</I>の選択分離培地である「ニッスイプレート・ヘリコバクター寒天培地」(日水製薬株式会社)を用い、微好気条件下で35℃(2005年10月までは37℃)ふらん器にて最大1週間の培養を行なった。結果の判定は、発育したコロニーのグラム染色を行い、グラム陰性螺旋菌であることを確認、ウレアーゼ試験、オキシダーゼ試験、カタラーゼ試験陽性となったものを<I>H.pylori</I>培養陽性とした。<BR>〈結果〉HpSA又は血清抗体陽性群78例の胃液培養では、68例が陽性で10例が陰性となり、感度87%であった。HpSA又は抗体陽性群118例の胃粘膜培養では、103例が陽性で15例が陰性となり、感度87%であった。HpSA又は血清抗体陰性群では胃液培養、胃粘膜培養共に全例が培養陰性であり特異度は100%であった。培養結果とHpSA及び血清抗体が不一致となった25例中9例に雑菌発育が認められ培養不可能であった。胃液と胃粘膜の雑菌発育に大きな有意差は認められなかった。1998年までは、HpSA又は血清抗体やウレアーゼ試験との不一致例が検体56例中18例(32%)、雑菌発育8例(14%)と培養成績に良好な結果が得られなかった。不一致18例中7例(39%)の原因は雑菌発育によるものであった。しかし、1999年以降の不一致は、検体233例中7例(3%)、雑菌発育2例(1%未満)と培養成績が明らかに向上した。<BR>〈結語〉我々は、胃液を検体とした<I>H.pylori</I>の培養を1997年から試行錯誤の中行なってきた。1998年以前の培養成績と他の検査方法との不一致や雑菌発育は、培地の使用方法や培養条件、検体処理方法等、様々な要因が示唆された。<BR>胃液検体は胃粘膜検体と比較しても十分な培養成績を得ることができた。また、胃液採取は、内視鏡を用いた胃粘膜採取と比較し患者への侵襲性が小さく、採取部位による影響も受けないことからも有用性が高いと考えられる。
著者
坪野 由美 飯山 志保 浦島 理恵 山田 孝子 小杉 久子 中川 真由美 澁谷 直美 大浦 栄次
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.57, pp.240, 2008

〈はじめに〉平成17年の国民健康・栄養調査によると我が国の喫煙率は男性で39.3%で減少傾向、女性は11.3%で横ばいとなっている。しかし依然禁煙を実行しえない喫煙者が多く存在している。今回禁煙のきっかけ作りのために、身近な人の禁煙エピソードを収集し、その特徴をまとめたので報告する。<BR>〈方法・対象〉対象者は平成19年8月から平成20年1月までの6ヶ月間に、厚生連高岡健康管理センターで日帰りドックを受診し、禁煙アンケート調査に同意を得られた禁煙成功者(以下成功者とする)および禁煙失敗者(以下失敗者とする)(男100名・女10名)の110名である。アンケートは独自に作成したもので喫煙歴、禁煙のきっかけ、禁煙成功・失敗理由等の項目についての自記式調査用紙である。ケースによっては追加聞き取りも行った。<BR>(結果及び考察)対象の内訳は禁煙成功者92名、禁煙失敗者18名である。成功者92名中、男性85名女性7名であった。成功者の禁煙のきっかけ、成功理由を人間関係、健康上の理由、仕事、イベント、趣味・生きがい、金銭的理由、環境、その他の8つに分類した。一番多い禁煙のきっかけ、成功理由は表3に示すとおり健康上の理由が50例と多かった。人間関係では子供の誕生、友人と約束、仕事上ではお客様のため等、イベントでは結婚を機に、エイプリルフールに、ハワイ旅行で等があった。趣味・生きがいではサーフィンを続けるためが1例、金銭的理由ではタバコ税に頭がきて等、環境では職場が禁煙になり等があった。<BR>今回の成功者の禁煙成功の鍵は、健康上の理由が最も多いことがわかった。しかし、健康上の理由で禁煙が必要であっても、その気が全くない喫煙者も存在していることから、禁煙成功には各個人の健康に対する考えが大きく左右しているのではないかと考える。また色々な禁煙エピソードを読むことで喫煙者に共感や驚きが生まれ、禁煙の試みにつながると思われる。今までのように煙の害を啓蒙する、禁煙外来をすすめる等の禁煙支援の方法もあるが、今回の成功者には禁煙教室参加でやめたケースは1例にとどまり、禁煙外来で成功したケースもなかった。しかし、主治医のすすめで成功のケースは5例あり、医師のアプローチの重みは強い。今後保健、医療の両現場においての禁煙支援のひとつの手段に禁煙エピソードを取り入れ、喫煙者の禁煙への興味、関心を引き出し禁煙のきっかけ作りに利用していきたいと考える。
著者
長谷川 浩一 林 真人 川口 健司 田代 晴彦 森川 篤憲 岡野 宏 川上 恵基 村田 哲也
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集
巻号頁・発行日
vol.56, pp.29, 2007

(症例)患者はインドネシア国籍の29歳男性で、平成19年1月17日に頭痛を主訴に当院外来を受診。頭部単純CTで左側頭葉に低吸収域を呈する脳病変を認めた。しかしながら不法滞在者であると判明し、それ以上の精査治療は母国で行うべきと初診医が判断し、即時の帰国を勧めた。しかしながら、症状は徐々に悪化し発熱と意識障害をきたしたため、1月21日に当院救急外来を受診し内科入院となった。入院時、口腔内カンジダ症を認め、抗HIV抗体が陽性であった。髄液検査では異常を認めなかったが、AIDSによる脳トキソプラズマ症が最も疑われ、ST合剤とクリンダマイシンの投与を開始した。治療により解熱しCRPも9.0から0.5に低下したが、意識状態の改善はあまり認められず、到底旅客機で帰国できる状態ではなかった。2月1日に局所麻酔下で定位的に病変部位の生検術を施行し、病理組織にて脳トキソプラズマ症の確定診断が得られたため、2月8日に三重大学附属病院血液内科に転院した。その後、ピリメサミンを用いた積極的な治療により旅客機で帰国できる状態にまで回復した。(当院での対応)不法滞在のため保険には未加入で、治療費は自費のため金銭的な援助をインドネシア大使館にも相談したが、予算がないため金銭的な援助は不可能との返事であった。また、当院はAIDS拠点病院に指定されていないため、県内のAIDS拠点2病院への転院も考慮したが困難であった。三重大学附属病院のみHIV感染により何らかの合併症を発症している事が確認されていれば、何とか受け入れ可能であるが、少なくとも脳の生検でAIDS以外の脳病変を否定する事が前提条件であった。HIVに対する手術器具の消毒法もHCV等と同じであるが、HIV感染患者の手術は当院では初めてであり手術室等からの反対もあったが、転院のためには他に手段はなく、当院でやむなく生検術を施行した。 (考察)不法滞在患者でなく金銭的に問題なければ、大学病院以外のAIDS拠点病院への転院も可能であったと思われるが、研究機関でもある大学病院しか受け入れは許可してもらえなかった。鈴鹿市は外国人の割合が高いので、不法滞在の外国人も多いと予想されるが、これは全国的な問題と考えられる。不法滞在者であるからといって人道的に治療を拒否する事はできず、行わなければならない。その様な場合、どこからか金銭的な援助を得て、なんとか治療を行える方法はないのであろうか。また、外来受診の翌日に名古屋の入国管理局から連絡があり、すぐに帰国させる様に伝えたが、手続き上少なくとも1週間以上かかり、結局その間に症状が悪化し帰国できなくなってしまった。不法滞在ではあるが、この様な緊急事態の場合、入国管理局はもっと早く帰国の手続きをとる事はできないのであろうか。この患者は治療により帰国できる状態にまで回復したが、回復しなかった場合は二度と自国の土を踏む事はできなかったと考えられた。
著者
河本 しげ美
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.81, 2009

〈はじめに〉在宅を一人で訪問している私達は,活動中に<BR>災害が起きた時も一人で判断し,行動しなければならな<BR>い。災害現場で冷静に行動し,利用者と看護師自身の安全<BR>が確保できるよう,災害に備えて日々活動を行ってきた。<BR>その結果,利用者の防災に対する認識が高まり,また看護<BR>師の意識改革ができたので報告する。<BR>〈方法〉平成17年より定例カンファレンスで防災部会を開<BR>催し,以下のことを実践した。<BR>(1)利用者に「災害時に備えて」(記入用紙)を配布し,啓<BR>蒙活動を実施。<BR>(2)医療機器等,生命に関わるものの使用状況一覧表を作<BR>成。<BR>(3)防災マニュアルを作成。<BR>(4)所内に災害時チェックリストを掲示。<BR>(5)各公用車に防災グッズを常備。<BR>〈結果〉<BR>1.「災害時に備えて」を配布したことで,<BR>(1)利用者・家族の防災に対する考え方が理解できた。<BR>(2)連絡先や非難場所等の情報を収集することができた。<BR>(3)持ち出し物品等の準備ができた。<BR>2.防災部会で検討した事項によって<BR>(1)看護師も災害時をイメージすることができた。<BR>(2)防災に対する認識が高まった。<BR>〈考察〉利用者の防災に対する認識は様々であったが,意<BR>識していなかった利用者も,積極的な啓蒙活動によって防<BR>災を意識するようになったと思われる。また,看護師が意<BR>識をもって訪問することにより,利用者及び家族の認識に<BR>変化をもたらし,安心感につながったと思われる。啓蒙活<BR>動を拒否した利用者においては,現実感がない,諦め等の<BR>思いがあるのではないかと推測されるが,今後更に心理状<BR>態を分析していく必要があると思われる。<BR>〈おわりに〉「万が一」に備え,普段からの心がけが大切<BR>である。今後も定期的に防災部会を開催し,防災に対する<BR>活動を継続していく必要があると思われる。<BR>
著者
竹中 理恵 伊東 尚美 安 邦子 加藤 久美子 峯田 祐次 阿部 菜穂子 岩谷 さゆり 秋野 良子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.71, 2006

<b><緒言></b>当病棟では、せん妄症状の患者に対し、チューブ類の自己抜去や転倒を防ぐために、やむを得ず睡眠剤の投与や抑制を行い危険行動を抑えているのが現状であった。そこで、アロマテラピーの導入で、せん妄症状の患者に対しても少ない症例ではあるが改善が見られたためここに報告する。<BR><b><方法></b><BR>1.対象 夜間せん妄症状が見られた当病棟入院患者で、今回の研究を行うことに家族の了承を得た患者3名<BR>2.方法<BR>1)開始時期<BR> 三瓶氏らのアセスメント表を参考に、せん妄スケール表(以下スケール表とする)を作成し2段階に該当した時点でアロマテラピーを開始する。<BR>2)アロマテラピーの施行方法<BR> 精油をコットンに垂らし枕元に置く。<BR> (1)開始時:リラックス効果のあるラベンダーを使用<BR> (2)開始4時間後から起床時:鎮静効果と催眠作用のあるカモミールを使用<BR> (3)開始が0時以降の場合は2種類を混合し使用<BR>3.データ収集方法<BR> スケールの点数からアロマテラピー使用後のせん妄症状の変化を比較する。<BR>4.倫理的配慮<BR> 同意書に、知る権利・医療における自己決定権・害を与えないこと・プライバシーの保護について記載し、家族に対して説明する。<BR><b><結果></b>スケール点数を比較したところ、全ての症例において開始4時間後に点数の下降が見られた。(資料1参照)また、開始時間に関係なく全員が6時から9時の間に覚醒した。<BR><b><考察></b>環境の変化に不安、チューブ類や安静などによる拘束感、苦痛からくる不眠や疲労に関連し、せん妄症状が出現した患者3名に施行した。アロマテラピー使用後、3名とも「いい臭いがする」「落ち着く」と言い入眠につながった。吉田は「香りの刺激は嗅覚によって感覚されるが、その神経ルートは他の感覚以上に情動脳系に直結している。」<sup>1)</SUP>と述べている。このことから、ラベンダー・カモミールの香りはリラックス効果が高く、ストレスに由来する各種障害に有効と言われているように、鎮痛・安眠効果が得られ入眠を促すことができたと考えられる。<BR> また、使用開始時間に関係なく全員が6時から9時の間に覚醒し「すっきり眠れた」と話された。深夜問わず睡眠剤を使用した場合その効果が日中まで遷延するが、アロマテラピーのもたらす効果で自然な入眠が得られ、崩れた入眠パターンを取り戻す機会になったと考える。<BR><結論>せん妄患者にもアロマテラピーは、自然な入眠を促すことができ、睡眠パターンを取り戻す介入方法として効果が期待できる。<BR><b><引用文献></b><BR>1)吉田倫幸:香りとリラクセーション,現代のエスプリ,P58,1993<BR><b><参考文献></b><BR>1)三瓶智美:クリティカルケアで不穏せん妄をどうアセスメントするか,看護技術,vol 51 No1,2005<BR>
著者
福村 浩一 中原 毅 小串 美由紀 倉持 龍彦 関 貴弘 堀井 京子 寺田 紀子 上野 信一 松井 則明
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.137, 2008

【はじめに】近年、携帯電話や電磁調理器具などの急速な普及により、それらから発せられる電磁波による健康への影響を不安視する声が聞かれる。透析装置においても電磁波を発する装置であり、透析患者は4~5時間装置の側での治療を余儀なくされる事から、透析中における装置からの電磁波の発生強度を測定し、その安全性を検討した。<BR>【目的】透析装置から出る電磁波を測定し、その数値からICNIRPの電波防護指針をもとに透析中の安全性を検討する。<BR>【方法】当院で用いられている透析装置(DCS-72、DCS-26、DCS-27、DBB-26、DBG-02、TR-3000M)の待機時(プライミング終了後)と作動時(透析中)に放出される電磁波の強度を、アルファラボ社製トリフィールドメーター100XEを用いて測定し、また患者の透析時における電磁波の暴露量(頭部、腹部、下肢)からその安全性を比較検討した。電磁波の測定方法は透析装置のディスプレイ画面より0cmから10cm間隔で電磁波の強度を測定し、最終的に測定表示が0になるまでの距離を測定した。<BR>【結果】DCS-72では待機時が、0~20cmで100mG以上、30cmで25mG、1.3mで0mGとなった。透析時では0~20cmで100mG以上、30cmで25mG、1.5mで0mGとなった。DCS-26では待機時が0cmで50mG、10cmで6mG、50cmで0mGとなった。透析時では0cmで100mG以上、10cmで50mG、90cmで0mGとなった。DBB-26、DBG-02ともに透析時では0cmで60mGと高い値を示したが、10cmでの測定値は一桁を示し、他の装置では0cmでも待機、透析時ともに低値を示し、待機時で30cm、透析時で40~60cmで0mGとなった。又、患者の頭部、腹部、下肢で透析時に受ける電磁波の強度を測定した結果、頭部で0~2mG、腹部、下肢では0~0.5mGであった。<BR>【考察】測定の結果からICNIRP(国際非電離放射線防護委員会)の定めた国際ガイドライン値(安全値4mG未満、許容値16mG未満)に当て嵌めると医療従事者が通常の操作をするパネルからの位置では、測定結果から特に問題はないと思われ、透析中における患者についても安全性をクリアしていると思われた。<BR>【まとめ】電磁波については、生体に影響が有る、無いの二極論があるが、実際に「電磁波過敏症」と呼ばれる諸症状がある事も事実であり、長時間装置の側で治療を受ける透析患者の電磁波の暴露量は重要であり、科学的根拠がなくても事前回避の措置を定めるという原則の考えが重要であると考えられた。
著者
武井 貴裕
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.444, 2010

安城更生病院は、平成21年7月よりDPC対象病院となった。当初の試算にて出来高請求金額とDPC請求金額には大きな隔たりがあった。DPCでは、入院期間内に従来の医療の質を維持しつつコストを抑えた医療の組み立てが要求される。当院におけるDPC導入への取り組みについて述べる。DPCを導入する為の病院の方針として、「医療の質の維持」、「収入の確保」この2つを決定した。この方針の下、当院のDPC導入への取り組みは、大きく分けて_丸1_全職員周知活動、_丸2_収支分析、_丸3_全職員収支分析報告、_丸4_DPC対応型クリニカルパスの作成です。周知会にて、DPCへ移行した場合の当院の現状、改善策の必要性について全職員を対象に説明を行った。その中で現状のままDPCへ移行した場合に年間で約4億円の減収となる事を示した。その結果、全職員に危機感が現れ、DPC導入は全職員で取り組むべき課題であると認識する結果となった。医師に対しては、各診療科のカンファレンスを訪問し、DPC導入した場合に医療の抑制は行わない事、診療上必要な行為は施行してもらう事を説明した上で適正な改善策の実行やクリニカルパスの見直しを依頼した。 結果としては減収と予想されていた収支がDPC導入後には増収となる結果であった。その要因としては、平均在院日数の短縮、病床利用率の維持、費用として計上される診療行為の外来移行と適正化、DPC対応型クリニカルパスの作成、コーディングの精度向上、全職員への周知が挙げられる。特に全職員への周知は一番重要であったと考える。DPCを導入するにあたり一部の事務員がDPC制度を理解し導入を進めていくのではなく、全職員がDPC制度を理解し同じ方向性を持ち、協力体制を構築していかなければ安城更生病院でのDPC導入は不可能であったと考える。その協力体制を築けた事が医療の質を保ちつつ収入の確保に繋がったと考える。
著者
安水 洸彦
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.42, 2008

今日の産科医療の危機的状況すなわち産科医師の減少と、それに伴う産科医療施設の相次ぐ閉鎖は、「産科の崩壊」として社会問題にまでなって来た。この経過で重要なことは、産科崩壊が地方自治体病院から始まったという事実である。二次救急施設として地域医療を支えている自治体病院での産科診療の廃絶は、地域住民に与える影響が大きく、医療に対する不安と行政に対する不信を生じる。埼玉県草加・八潮地区の中核病院である草加市立病院も、医師の退職と大学からの医師派遣中止により、平成17年4月に産科診療と婦人科手術を停止した。産科再建の依頼を受けて、私が着任したのは平成19年4月であったが、草加市と病院当局の努力により順調に医師が確保でき、平成19年10月には産科診療を再開できた。現在は月50-60例の分娩を管理している。この経験をもとに本ワークショップでは、自治体病院の産科維持に最優先事項となる医師の確保につき私見を述べたい。<BR>産科医の雇用:従来、自治体病院の医師派遣は大学の講座(医局)に依存していた。しかし現在では、「大学は地域医療に対し何らの責任を有しない」というのが一般的見解となり、大学が優先的に教室員を派遣するセンター病院以外の病院では、医師の雇用は個人的人脈、人材派遣会社、雑誌やインターネットでの募集広告などに頼らざるを得ない。これらの方法による募集は医局依頼に比べてかなりの手間はかかるが、病院自体の判断で有能で持続性のある医師を雇用できるというメリットはある。ただし、勤務条件の明示は必須なので、自治体・病院当局との綿密な事前検討が肝要となる。<BR>産科医の維持:稀少職扱いでの産科医の給与増額が話題となっているが、高額な給与設定は、自治体病院ではまず不可能である。むしろ、勤務手当の適正化と労働環境の改善に配慮すべきである。前者の具体例としては、当直手当の増額、分娩手当、オンコール手当の支給、時間外勤務の上限撤廃などが、また後者としては就業、採用における年齢制限の撤廃、個人的事情を考慮した柔軟な勤務体制の設定、当直明け勤務の減免、学会出張や年休の確保、託児所の設営などが挙げられる。<BR>今後の展望:都立病院での産科医待遇改善、周産期医療費の増額、無過失医療保障制度の導入・異状死届出義務の改定への動きなど、行政面から産科医減少防止のための具体策が提示されているが、産科専攻志望者は増加していない。また産科医養成対策として医学部入学時の稀少科枠や奨学金制度の設置などが検討されているが、これらが実現したとしても、効力を発揮するのは早くて10数年後である。したがって、この10-20年間は乏しい人的資源の有効活用を図るしかない。その妙案として提示されている病院の集約化は、大学間協力の難しさと長距離通勤などの勤務者の負担増のため、未だ成功例は少ない(産科閉鎖による結果的集約は多数あるが、この場合は他病院医師に過剰負荷を与える)。そこで現時点では、医会と学会が協力し、産科診療に従事している医師の負担軽減案を案出するべきである。例として以下の方法が考えられる。<BR>(1)医会のリーダーシップのもとに、地域の二次医療病院のオープンあるいはセミオープン化を推進し、診療所経営医師の病院診療(当直も含め)への参加を奨励する。<BR>(2)学会(地方部会)のリーダーシップのもとに、産科診療を行っていない病院の勤務医に地域の産科診療機関での日当直を奨励し、紹介を行う。
著者
伊藤 しげ子 井後 一夫 水野 章 諦乗 正 河内 嘉文 伊藤 恭子 伊藤 雅彦 川瀬 朋子 小寺 久子 三和 静代
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.27, 2007

_I_、はじめにいなべ総合病院は三重県最北に位置する220床の病院です。診療圏人口は約71,000人で地域の中核病院としての役割をもっている。当院は平成14年9月、新築移転をした。しかし、移転当初最新の医療設備、優秀なスタッフが揃っているのにも関わらず、地域の中では病院機能の理解はなかなかなされず、病院の活性化はならなかった。そこで、以前より活躍していた院内ボランティアの方にまず病院の機能を理解してもらうために「ボランティア委員会」を立ち上げ、年間2回の研修会と3回の委員会の開催をした。また、病院祭の際には、餅つきやアンケートの手伝いをしてもらい、職員と一体となって地域の人へのアピールを行ってきた。地域の人で作るボランティアの方の地域への宣伝効果は大きなものがあり、現在外来患者数880人(移転当初750人)、入院稼働率92%(移転当初88%)と活気ある病院になってきた。その経過を報告したいと思う。_II_方法1、ボランティアグループ1)ほほえみの会 100名登録 (玄関患者介助)2)ほほえみの会ひまわりグループ8名 (小児科外来絵本読み聞かせ)3)敷地内草取りボランティア130名 (シルバー)4)敷地内草取りボランティア5)小児科病棟絵本読み聞かせ 1名2、活動内容1)毎日2~3名が玄関で患者介助2)第1月曜日に2名が実施3)毎月1日と10日に敷地内の草取り実施4)年1回敷地内の草取り実施5)毎月第_I_土曜日に実施3、病院祭毎年開催する病院祭に、餅つき、アンケート聴取の手伝いやイベントコーナーへの参加など病院行事への自発的な参加を行っている。4、研修会年2回実施_III_、結論最初は20名ほどから始まったボランティア活動は、現在230名を超える大きな輪になった。ボランティアの人が「自分たちが支えている病院」という気持ちを持ってもらうことこそが病院活性化につながると考え、研修会、委員会、病院祭の参加とまずは病院へ足を運んでもらうこと。もう1つはボランティアの方が地域住民の代表者となり、病院への要望・意見を言ってもらい病院改善を行ってきた。年2回開催する研修会には、院長、事務部長、看護部長、外来師長が必ず出席して、常に病院の方針を話し理解していただき、考えを共有するようにした。また、ボランティアからの要望は最大限取り入れた。そうしたことで徐々に「自分たちの病院」という思いが広がっていき、その思いは地域の人にも広がっていった。移転後5年目を迎えた現在、救急車搬送率、外来患者数、入院患者数、健康診断受診者数等全てにおいて右肩上がりの成績を収めており、まさしく地域とあゆむ中で病院の活性化はなされてきたと感じている。
著者
柴田 純子 津谷 浩子 山城 洋子 浪岡 佳奈子 岩川 正子 簾内 陽子 久保 達彦
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.186, 2008

I.はじめに<BR>昨年、全職員(臨時職員・委託業者を含む240名)に対し、救急担当医師によって一次救命処置(以下、BLS)の講習が開催され、積極的な学習の必要性を感じると同時に救急への意識が高まってきた。さらに、二次救命処置(以下、ACLS)の講習会が行われるなど救急対応が確実に行える事が求められてきた。今回、BLSからACLSと一貫した講習会を受けて看護師の意識の変化・知識の向上など講習会の効果にについて知り、継続的支援の方向性を見いだす事が出来たので報告する。<BR>II.研究方法<BR>1.研究対象:当院でBLS・ACLS講習会を1回受けた看護師121名(アシスタントは除く)<BR>2.研究期間:2007年4月~10月<BR>3.研究方法<BR>1)講習会受講した看護師121名に対し質問紙調査<BR> 2)質問紙調査はAHA心肺蘇生と救急心血管治療のためのガイドライン2005に準じBLSとACLSに関して各13項目とした<BR>4.データ分析 統計処理(エクセル)<BR> III.結果<BR> BLSについての質問紙調査結果、「急変時の意識・呼吸の確認ができると思う」「急変時の応援要請ができると思う」に対しては、「はい」と答えた人は100%という結果であった。「効果的な」心臓マッサージができると思う」に対しては、「はい」と答えた人は89%「AED取扱いができると思う」に対しては、「はい」と答えた人は72%であった。ACLSについての質問紙調査結果、「心電図が取れると思う」「薬剤投与が正確にできると思う」「フラットライン・プロトコル適応基準が理解できたと思う」の4項目は「はい」と答えた人は、平均57%と不安の残る結果がでた。<BR>IV.考察<BR> 心肺蘇生はチーム医療で行われ看護師は役割を分担し、医師と共に救命行為を円滑に行う事が大切である。そのため、医師・看護師が統一されたプロトコルを理解しなければならない。看護師は急変の第一発見者となる機会が多くBLS習得は必然であると考えられる。調査結果よりBLSは、意識・知識を高める事が出来たと考えられるが、ACLSは4項目で出来ると答えた人は約50%であった事から、1回の講習会では習得は困難であったと考えられる。しかし、自分の弱点を明確にする事ができた良い機会であったと思われる。今後は各部署で実技訓練実施・講習会など、継続的に学習する事が重要である。河本らは「救急処置は反復訓練が重要であり、今後も患者急変時に自信を持って行動できるよう定期的に知識・技術の確認が行える場の支援が必要」と述べている。全体を通して講師・アシスタントの緊張させない和やかな雰囲気とわかりやすい指導が大きな成果を挙げたと考える。<BR>V.結論<BR>1.救急への意識が高まり院外の講習会参加が増えた<BR>2.各部署での実技訓練の実施が必要 <BR>3.定期的な講習会の開催が必要<BR>
著者
瀬能 美代子 鈴木 芳江 竹村 晶子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.265, 2006

<b><はじめに></b>日本の女性雇用者数は増加傾向にあり、働きつつ妊娠、出産、育児を続ける女性をサポートする法整備がなされている。しかし、これらのことが女性の就労の妨げとなっていることは少なくない。今回当院で分娩した褥婦の就業状況及び法制度の知識、利用状況を知り、看護者としてどのような援助が必要なのかを考えるため、アンケート調査を実施した結果、法的制度の周知度と利用状況などを知ることが出来たので、ここに報告する。<br><b><研究目的></b> <BR>当院産婦人科外来利用者を対象に労働基準法第6章の2の知識及び、利用状況について質問紙法を用いて調査し、その実態の把握を試みる。<br><b><研究方法></b><br> (1)期間<br> ・平成17年9月-平成17年11月の2ヶ月間<br> (2)対象<br> ・当院産婦人科外来に産後1ヶ月健診に訪れた褥婦100名<br> (3)方法<br> 労働基準法第6章の2の知識と利用状況を把握するためのアンケ?トを作成し、同意のもと記入後、手渡しにて回収。統計をとる。<br><b><倫理的配慮></b><br> アンケートは無記名とし研究目的と共にこの研究以外に使用しないことを説明し同意を得て実施。<br><b><結果></b><br>育児担当者は母(自分)97名であり、妊娠発覚時の就業者は73名である。<br>(1)雇用形態<br>正社員30名(41%)、準社員8名(11%)、パート21名(29%)、アルバイト7名(10%)、事業主(自営)3名(4%)、その他4名(5%)<br>(2)妊娠発覚後の就業状況仕事を辞めた46名(63%)、産後休暇をとり継続2名(3%)、産前・産後休暇をとり継続4名(5%)、産前・産後・育児休暇をとり継続18名(25%)、休暇をとらずに継続3名(4%)対象者全員に働く女性の妊娠・出産育児に関する制度について調査した(表1)利用状況(予定を含む)(表2)<br><b><考察></b><br>産前の就職状況は73%に対し、妊娠中及び産後仕事を辞めたのは63%であった。青木1)らは、「わが国においては、近年女性の社会進出が著しいものの、今なお男は仕事、女は家事、育児、という性(別)役割分担が根強いもの事実である」と述べている。育児の中心は母親であるとの結果からも、推測ができる。産前・産後休暇・育児休業の制度は6割強の周知度に対し、その他の制度に関しては1_から_2割程度の周知である。「産前休暇」「産後休暇」「育児休業」については制度を利用しようとする状況があるものの、利用者は周知度よりも低いことがわかる。(グラフ1)。つまり知っていても利用できない現状であるとわかる。正職員以外の就業者が5割以上いることから雇用形態によっては制度が利用できないことも考えられる。<br> <b><おわりに></b><br>今回の調査により法的制度の周知が進んでいない現状が明らかになった。そこで、私達看護者が法的制度の知識普及に努め、妊婦、産婦が働きながら安心して妊娠、出産、育児を両立できるよう支援していくことが今後の課題といえる。<br> <b><引用文献></b><br>1)助産学大系5 母子の心理・社会学 青木康子 加藤尚美 平澤美恵子p99、p39、<br><b><参考文献></b><br>1) 厚生労働省平成17年3月28日「平成16年版 働く女性の実情」<br>http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/03/h0328-7a.html#zu1-9<br>2) 国民衛生の動向2003年
著者
荒川 房江 秋山 ますみ 豊田 梓 高橋 恵美 阿瀬川 満枝
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.172, 2005

〔はじめに〕<BR>当院では、整形外科で牽引手術台を使用する際バスタオルで前腕を巻き、離被架につり下げる方法で長時間上肢の固定を行っていたが、いくつかの問題点が生じていた。そのため問題点を改善する目的で手台を作成したが、痛みを訴える患者があった。その痛みの原因を腕の太さと手台のサイズの不一致と考え、数種類のプロトタイプを作成し有効性を検証した。<BR>〔研究方法〕<BR>1.対象:手術室看護師6名<BR>2.手台の作成:3種類(S/M/L)のソフラットシーネを約40cmのところで屈曲させ肘関節部に約10cm四方の穴を開け、周囲を綿包帯で覆い、離被架につり下げるようにした。<BR>3.手台の実施:対象者の肘関節部の太さを測定し、3種類の手台で1時間体位を保持し、10分毎に痛みのレベルを4段階で評価した。<BR>〔結果および考察〕<BR>Sサイズの場合は腕の太さにかかわらず全員が時間の経過とともにレベル1-3の痛みを訴えている。その原因として最も多かったのは圧迫による痛みでありそのことにより体位の維持が出来なかった。よって肘関節の周囲が22.0cm以上の人には不適切と考えられる。Mサイズの手台では、腕の太さが22.0cm-23.0cmの人はほとんど痛みがなく、体位固定に安定性が見られた。一方27.5cmの2名には圧迫によりレベル2の痛みの出現が見られたことから、22.0cm-23.0cmの人にはMサイズの手台が適切であったと考えられる。Lサイズの手台では22.0cm-23.0cmの人には手台が大きすぎることで腕の引き抜きやずれが起こり、レベル2-3の強い痛みが出現し、固定の安定性もなく術者の視野確保の意味でも不適切であったと考えられる。27.5cmの2名には痛みの出現がなく体位を保持できたことから手台が適切であったと考えられる。腕の太さと手台のサイズの関連性を考慮したことにより、個々のニーズに応じてより安全安楽を考えた体位固定の工夫が出来たと考えられる。<BR>〔終わりに〕<BR>今回の研究では、対象人数が少なく腕の太さにバラつきがなかったため、Sサイズが適切とされる腕の太さやM・Lサイズの境界線といった細かい基準を明らかにすることが出来なかった。今後さらに研究を進めることでスタッフ間での統一を図り、いかに効果的な固定方法でも長時間の同一体位は、患者にとって精神的なストレスになることも考慮し、より安全で安楽な体位固定が出来るよう検討していきたいと思う。
著者
橋本 澄春 神林 ミユキ 原 靖子 小瀧 浩
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.230, 2009

〈緒言〉老人保健施設併設の在宅介護支援センター職員から急性期病院の医療ソーシャルワーカー(以下MSW)へ転職して約1年が経過し,入院期間という限られた時間内での業務遂行に大きな戸惑いを感じていた。そこで,この1年を振り返り,急性期病院の職員として組織の利益を守りながら,患者・家族ができる限り不安を感じることのない短期退院援助の方法を模索した。<br>〈方法〉1年間で介入したケース50件の平均在院日数は,当院の平均在院日数の約4倍であった。この結果から,現在のMSW としての退院援助に,まだ短縮できる部分があるのではないかと考えた。日報やケース記録から,ケースごとに依頼までの日数,依頼から初回面接までの日数など援助過程を細分化し,それぞれの期間におけるMSWの援助内容が妥当であったかを確認した。<br>〈結果〉専門職として学んだケースワーク過程を展開し,社会資源の利用準備を行う援助過程の中に省ける部分はないため,退院援助をおける時間短縮することは難しい。しかし,地域における急性期病院の役割を果たすためには,スピーディーな退院援助はMSW の絶対的な使命である。そこで援助過程の短縮ではなく,効果的に資源を利用し援助期間を短縮する方法として,短期完結を可能とする援助方法の獲得,社会資源を円滑に利用するための準備,院内スタッフとのコミュニケーションの促進が有効ではないかと考えた。入院期間という限られた時間内で,患者・家族が退院の準備をする時間を多く確保するため,MSW・地域・病院などの資源を最大限活用したい。<br>〈考察〉入職時に抱いていたMSW のイメージは,「退院」に対する病院と患者・家族とのギャップを患者側の立場で埋めていく専門職である。病院という組織が直面している課題を知ることで,そのイメージを現実にする方法が少しずつ具体的に見えてきた。専門職として,また病院の職員として,一つずつ課題を達成することが,患者の利益を守ることになると信じて,日々の業務に励んでいきたい。
著者
飯村 真樹 鈴木 勝也 萩谷 恵二 寺門 正二 清水 秀昭
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.445, 2010

【はじめに】<BR>現在の病院運営は全国的に非常に厳しいものとなっている。思うように医業収益が伸びない状況であれば、それ以外の部分で対策を講ずることも必要である。当院で実際に運用している取り組みを紹介する。<BR>【経過】<BR>当院の所在する行方市でオムツを処分する場合、一般家庭から排出されれば一般ゴミとして処理されるが、病院から排出すると感染性医療廃棄物扱いとなってしまう。平成21年度における感染性医療廃棄物の処理費用 約970万円のうちオムツ処理代は約260万円、27%を占めている。少しでもオムツの処理費用を埋めるような対策が必要と考えた。<BR>【方法】<BR>これまでは入院患者家族にオムツを用意してもらっていたが、家族の了解を得た上で、農協の運営する病院内売店で用意したオムツを使用してもらうこととした。使用したオムツ代は枚数に応じて売店から患者へ直接請求し、入院会計精算時に院内の農協出張所で併せて支払っていただいた。売店には使用前のオムツを保管する倉庫を貸すこととし、払い出したオムツの売り上げ金額の20%を倉庫賃貸料として毎月徴収した。<BR>【結果】<BR>売店からは月平均7~8万円程度の倉庫賃貸料を徴収できている。オムツ処理代が減ったわけではないが賃貸料収入が単純計算で年間100万円程度得られた計算になる。オムツの処理費用を埋める対策として効果は十分であった。<BR>【考察】<BR>これまで患者家族からは「どんなオムツを用意してよいか分からない」「買いに行く暇がない」などの意見があったので導入後は好評のようだ。オムツ交換作業の負担も軽減しスタッフの評価も高く、また経費削減の意味でも効果は十分であったと思われる。ただし、月数千円から数万円にもなる棚卸差損を減らすことが今後の課題である。<BR>【まとめ】<BR>経費削減につながるような対策を今後も検討していきたいと思う。<BR>
著者
加藤 純 伊藤 辰美 工藤 昌子 杉田 暁大 佐藤 義昭 朝倉 健一
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.78, 2005

【はじめに】インフルエンザは冬季感染症のひとつとしてよく知られている。近年、新聞、ニュース、インターネット等で多く報道されており一般市民の関心も高い。当院でもインフルエンザ集計データをホームページで情報公開している。<BR>今回我々は、04/05シーズンに当院で実施したインフルエンザ迅速検査からみた流行状況の報告を行なう。<BR>【対 象】期間:2004年11月1日(45週)から2005年4月3日(14週)、依頼件数:3071件、迅速検査キット:エスプラインインフルエンザA・B-N<BR>【結 果】'05-14週までの集計でインフルエンザ迅速検査結果は、A型(+)281件、B型(+)780件、A+B(+)2件であった。今シーズン最初に検出されたのはA型(53週目)であったが、その後B型の流行が6週目から見られ11週目にピークを迎えた。以後、減少傾向であった。A型の流行はB型流行時の10週目から見られ13週目にピークを迎えた。年齢別は、1-5歳児の陽性率が最も高く(A型:24.4%、B型:26.3%)、また15歳以下の陽性率が全体の過半数を占めた。受診者ワクチン接種率は60歳以上高齢者で54.7%、1-5歳児42.1%であったが、10歳から30歳代は20%以下の低接種率であった。ワクチン接種済みインフルエンザ(+)判定が見られた(A型: 27.8%、B型: 25.4%)が、インフルエンザ(+)のほとんどがワクチン未接種(A型:70.5%、B型:72.3%)であったことからインフルエンザ予防にワクチン接種は有効であると思われた。また、検査時の受診者体温測定結果集計もおこなった。<BR>現在、当地域ではインフルエンザがまだ終息しておらず全て集計できていないためこの詳細は学会当日に発表させていただきます。
著者
長島 忠美
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.374, 2007

平成16年10月23日午後5時56分、新潟県中越地方を襲った強い地震によって私達は生活の場を失い、ふる里を失う事になりました。突き上げられ、投げ出されて、立ち上がる事もできない激しい揺れの中で私達は誰もが死を覚悟する事になりました。強い揺れが納まり、何とか外に出る事が出来ましたが、その時は何が起こったか分かりませんでした。近所の人、皆が集まった頃、一回目の強い余震がありました。月明かりの中で家が揺れる様子が見えて、初めて想像できない強い地震にふる里が襲われた事が分かりました。当時、村長でしたから、とにかく役場で指揮を執ろうと思って、軽トラックで向かう事にしましたが、200メートルも行かないうちに道路が根こそぎない事が分かりました。4つのルートの全てが破壊され尽くしていました。村中、土石流で、歩く事さえ危険な状態でした。何とか救援を求めなければ。それがその時の実感です。電気も電話も道路も全て失っていました。携帯電話の通じる所を何とか探して、電話を掛け続けましたが、通じませんでした。焦る気持ちの中で3時間後やっと私の電話が県庁に繋がりました。そんな状況の中で一夜を過ごし、夜が白み始める頃、再び役場を目指して歩き始めました。目に映るのは変わり果てたふる里の姿です。信じられない光景に何もする術はありませんでした。山を越え、谷を下り、やっと役場が見える山古志中学校に辿り着き、目にしたのは人の力の及ばない世界でした。山が頂から崩れ落ち、住宅を飲み込んでいました。20数戸の集落が全て地すべりでぶら下がっていました。わずか直線で500メートルの役場に行けないのです。中学校のグラウンドを災害対策本部にする事にし、救援のヘリコプターの到着を待つ事になりました。やがて次々に自衛隊・警察・消防のヘリコプターが救援にやって来てくれました。その時はまだ村の状況の全部を私は知りませんでした。まず、ケガ人の救助、情報の収集からです。午前10時までにそれぞれの情報を総合してみました。山古志村は周辺の道路を失い、孤立していたのです。そればかりか14の集落の全ても孤立をしていました。そして住宅の半数が壊れているらしい事、公共施設の全てが被災をした事。その時はまだ村の中で命と財産を守るために何が出来るかを考え続けていました。状況が分かるにつれ、その事が困難に思えました。午後1時、一番したくない「全村避難」を決断する事になりました。それから26時間、信じられない早さで避難を完了し、私は最後の村内点検をし、私も皆の待つ長岡市へ避難する事になりました。避難を指示した村長として、絶望の中ではありましたが、「村を捨てるんじゃない。必ず戻って緑の村を取り戻す。」 と私が私に約束しました。それを成し遂げるのが村民に対して責任を果たす事になるとも思っていました。コミュニティの力と感謝の力に私は勇気をもらいました。皆様を始め多くの方々の御支援に「ありがとうございます」と言う事が出来ました。「帰ろう、山古志へ」これが私達の合言葉になりました。地震から2年6ヶ月。私達は数え切れない支援と温かい思いを頂きながら、最後の戦いをしています。私も最後の一人として今秋、仮設住宅を出るつもりです。一度は失ったふる里で、私達は新しい生活を再び一から歩み始めます。そこには山の暮らしがあり、心温まるふる里がある。そんな村で皆さんをお待ちしたいと思います。今学会が意義あるものになります事を心から祈念して御挨拶に致します。
著者
矢野 裕基 鈴木 悠子 安本 和正 原田 和彦 玉内 登志雄
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.68, 2008

<B>〈緒言〉</B>近年地方の医療を取り巻く問題に患者の医療費負担増・地域間格差の拡大などがある。今回,医療福祉制度面での地域間格差を検証することと医療ソーシャルワーカー(以下,MSW)や病院が用いる制度改善の最も有効な手段を検討することを目的に,全国の市町村が実施する重度心身障害者医療費助成制度(以下,助成制度)の現状とその改善手段についてのアンケート調査を2007年11月に実施した。その結果,今後検討するべき課題が明確となったので報告する。<BR><B>〈調査方法〉</B>1,対象 全国120の厚生連病院MSW 2,調査方法 郵送によるアンケート調査 設問(1)から(7)助成制度の内容,設問(8)から(13)制度改善の手段<BR><B>〈結果〉</B>76病院(病院所在地14町56市)より回答(回収率63%)<BR>(1)対象障害の範囲<BR> 1)身体障害 「2級まで対象」 23(33%),「3級まで対象」 38(54%),「心臓や肺,腎臓などの内部障害について対象拡大あり」 20(29%) 2)知的障害 「A判定(IQ35以下)」 38(54%) 3)複合障害その他の対象 「対象範囲あり」 23(32%)<BR>(2)助成方法 「現物給付」 45(64%)<BR>(3)所得制限 「あり」 53(76%)<BR>(4)年齢制限 「あり」 6(9%)<BR>(5)自己負担 「あり」 36(52%)<BR>(6)助成の時効 「あり」 40(63%)〈BR> 時効期限 最短6ヶ月 1 最長5年 4 最多2年 9<BR>(7)助成制度の問題 「あり」 40(68%)<BR> 助成制度のどこが問題か(複数回答)<BR> 「対象障害の範囲」 28(34%)<BR> 「所得制限」 18(22%)<BR> 「助成方法」 17(21%)<BR>(8)MSWの問題解決の実践 「実践あり」 26(63%)<BR> 実際にMSWが多く用いた手段(複数回答)<BR> 「行政担当との直接交渉」 18(32%)<BR> 「個別ケース援助」 17(30%)<BR>(9)MSWの採る最も有効と思う手段<BR> 「地域の患者団体との連携」 9(17%)<BR> 「行政担当との直接交渉」 8(15%)<BR> 「地域の福祉関係者との連携」 7(13%)<BR>(10)病院の問題解決の実践 「実践あり」 8(11%)<BR> 実際に病院が行った手段(複数回答)<BR> 「行政機関への直接交渉」 5(41%)<BR>(11)病院の採る最も有効と思う手段<BR> 「地域の医療関係団体との連携」 21(39%)<BR> 「行政機関への直接交渉」 11(20%)<BR>(12)各県MSW協会の実践 「実践あり」 4(6%)<BR>(13)各県MSW協会の採る最も有効と思う手段<BR> 「制度改正の提言」 19(37%)<BR><B>〈考察〉</B>今回の結果から,全国の助成制度に地域間格差が存在することは明らかである。制度に問題があると感じているMSWも多く,何らかの制度改善に向けたアクションが必要である。しかし,実際にはMSWや病院は制度を改善するために最も有効と思う手段を実践できていない。何故なのか,その理由を探る必要がある。実践を難しくしている要素を明らかにし,今後は地域の患者団体や医療・福祉の関係団体と連携を強化し,共に制度改善を図ることが必要である。各県MSW協会には制度改正の提言など目に見える活動が求められている。各地域の制度はそれぞれの地域の病院や団体が行動を起こさなければ改善は実現しないものと考える。<BR>
著者
夏川 周介
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.7, 2008

終戦前年の昭和19年に創立された佐久総合病院はまさに戦後の歴史と共に歩んできた。設立当時は日本のチベットとも称された人口5千人に満たない貧しい、寒冷の地にあって、医師2人、20床の規模からスタートし、現在は老健までを含む全病床数1,190床、職員総数1,800余名、常勤医師数200余名を数えている。発展の過程を規模だけからみると、まさに戦後の復興から高度成長への道をひた走ってきた我が国の姿と生き写しの感があるのは否めない。しかし、経済復興と高度成長の波に乗り、時流におもねって規模の拡大が図られて来たわけでは断じてない。むしろ、困窮劣悪な農村地域にあって、戦後の工業社会の実現と生産優先の政策から取り残され、そのひずみを様々な形で受けた農村の環境、産業としての農業そして農民の健康を守るため、昭和20年に赴任し、50年間にわたり院長を努めた故若月俊一の指導のもと、地域に根ざした地道な包括的医療活動の結果であると考えている。そして、その過程はまさに農村医学の実践の歴史といえるのではないか。<BR>創立期は有史以来大きく変わることの無かった日本の農村・農民の劣悪な生活環境、作業内容からくる健康障害に医療のみならず、社会環境、行政的視点から問題を浮き彫りにし、医学的・社会的・科学的手法により、その解明と改善をはかった農村医学と予防医学創生の時期であった。経済的、時間的、距離的そして何よりも医学的無知から病院にかかることの出来ない人々に対し出張診療班を編成し、無医村に出かけ、保健・予防活動に力を注いだ。その後の高度経済成長時代は、生産優先政策から生じる農薬中毒、農機具災害などの環境汚染や健康障害から農民の健康を守るたたかいの時期であり、同時に急速に発展する医学、医療の修得と提供をめざして最先端の医療技術の導入、施設・機器の整備を図って来た。そして、近年は急速に進む高齢化社会に対応し、介護・福祉、ことに在宅医療の実践に力を注いでいる。<BR>戦後の日本社会は国際情勢とも連動した急速な発展と未曾有の大変動に見舞われているのに対し、国全体として意識、思想、体制が追いつけない状況が今日の混乱を招いているといわざるを得ない。医療の世界も農村・農業をとりまく状況もまた然りである。<BR>若月はこのような状況を早くから喝破し"食糧自給率を減らし、農業を危機に陥れ、農村の美しい環境を破壊しているのは資本である。それに、政・財・官の癒着が大きく関与している。「協同」の名において、資本との闘いをきちんとやっておかないと、将来はとんでもないことになる。"といみじくも述べている。この言葉の中に重要な農村医学の目的、意義、役割が含まれているものと考える。<BR>現在、地域医療崩壊が現実のものとなる中、医療関連産業は多くの地方の基幹産業としての役割を担っている。このことは人口減少に悩む地方、ことに農村地域における有力な雇用創出につながるとともに、地域社会の維持に欠くべからざる要素である。そのような地域に依拠する医療機関は、地域の継続性とセイフティーネットを守る役割と機能を持つことが社会的使命であり責任であると任じ、健全な経営を守ると同時に地域住民の命と健康を守ることが"農村医学の原点"ではないだろうか。
著者
早川 真紀子
出版者
一般社団法人 日本農村医学会
雑誌
日本農村医学会学術総会抄録集 (ISSN:18801749)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.145, 2007

〈はじめに〉平成14年褥瘡未実施減算が始まり、全国的に褥瘡に対する注目度が高まった。文献検索によると、病院内の褥瘡発生件数の内訳が在宅、施設からの持込が、院内発生率の2倍弱という結果の報告がある。実際、在宅では、ADLがA1、A2の動ける人の中にも褥瘡を有するケースの経験もしている。当事業所における在宅での褥瘡発生率を調査し、在宅においての褥瘡発生の因果関係を知り、今後のケアプラン作成や支援方法に役立て、在宅における褥瘡予防を考える。〈研究方法〉_I_調査研究:当事業所で契約を交わしたケース139件(H17/1~H17/12まで)のうち褥瘡を有した25件の家庭環境・サービス利用状況を調査する。_II_研究期間:H18/5/1~H19/4/30〈結果〉 資料1 グラフ参照〈考察〉サービスの利用により、観察の目が多くなり、褥瘡は早期に発見でき、治癒、改善している。複数の事業所が関わることで、スタッフ間の意識の高まりや緊張感もでてくるのではないか。サービス提供事業所では日々の状況や介護者の心理的な動きを記録している。モニタリングの場面で情報を得ることから考える。独りで過ごす時間が長い人は5人で92%は同居していた。背景として考えられる事とは、老老介護や経済的理由で介護者が自宅に一緒に居る事実がある。旧栃尾市は地場産業の衰退による離職者が多い、若い世代の流出で高齢者世帯が非常に多い地域である。年金暮らしのためサービスの介入が困難でマンパワーが不足したケースが数字として現れた。褥瘡の発生したケースは要介護3以上が92%で、発生のリスクが高い事がわかる。リスクを最小限にしようとすると必然的に介護量が更に増す。病院であれば24時間専門職の対応ができる。在宅では限られた時間でのケアスタッフの対応と家族の介護力に期待するしかない。悪化、不変ケース5人の共通点として、介護歴が5年以上、介護の協力者や相談者がいない、閉鎖的な考えで他人の介入を拒みサービスの介入が困難であった。関わるサービス事業者と普段の情報交換で理解を深め、観察項目の確認をすることで、専門性の目を高め援助できるケアプラン作りが必要である。介護者の思い入れが強かったり、使命感に縛られサービスを介入する事が難しいケースの場合、サービス導入ばかりにとらわれず、話を聞く事に専念し介護者の心の負担をわかりあえたという瞬間を感じたケースもあった。〈結語〉◙サービスが関わっているケースは褥瘡を早期に発見できる◙主介護者が抱え込んでいるケースはサービスが介入しづらい◙サービスを導入するには経済的な理由も考慮する必要がある◙要介護3以上に褥瘡の発生リスクが高い 〈文献、検索〉 1)江原喜八、褥瘡を防ぐシーティング、月間総合ケア、2006.vol.16.no.122)折茂賢一郎、安藤繁、新井健五、廃用症候群とコミュニティケア、別冊総合ケア、2005 医歯薬出版3)市川冽、ケアマネジメントのための福祉用具アセスメント・マニュアル、1998 中央法規4)日総研グループ、褥瘡ハイリスク患者の予防管理が実践できる仕組みづくり、月刊.Nurse.Data 2004資料1 グラフ6票