著者
伊豆原 英子
出版者
愛知学院大学
雑誌
愛知学院大学教養部紀要 (ISSN:09162631)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.1-16, 2007

添加の接続詞「そのうえ」「しかも」は類義語であり、その類似点の一つは、両者が用いられる談話中に「統括命題」があることである。「体によくて、かんたんで、しかもおしゃれな料理」「美味しい!簡単!そのうえ健康!」に見るように「しかも」「そのうえ」でつながれる前件、後件は「(すばらしい)料理」という統括命題を聞き手(読み手)に納得させるためにあげられている。次に相違点は「付け足し」もしくは「付け加え」の性格の違いにある。第1に「日本の、しかも地方都市郊外での出来事だ」「2年ぶりのサヨナラ勝ち。しかも球団史上初の代打サヨナラ満塁ホームラン!!」に見る前件が後件を限定し、後件が前件を詳細化する用法は「しかも」に特徴的で、「そのうえ」にはこのような用法はない。第2に「体によくて、かんたんで、しかもおしゃれな料理」「美味しい!簡単!そのうえ健康!」ではどちらも「料理」が「体によくて、かんたんで、おしゃれ」であること、「美味しくて簡単で、(それを食べれば)健康になる」ことが述べられている。しかし、両者は、「しかも」が意外性といった話し手の心的態度を表すものであるのに対し、「そのうえ」にはそのような要素はない点で異なる。
著者
伊豆原 英子
出版者
愛知学院大学
雑誌
愛知学院大学教養部紀要 (ISSN:09162631)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.1-15, 2003

終助詞「よ」「よね」「ね」のこれまでの研究は、三者を統一的に見たものは少なく、二者間の差異、または意味・機能を同じくする他の領域の語群との差異を明らかにするものが多かった。本稿は、終助詞「よ」「よね」「ね」三者の機能を統一的にとらえようとした点が従来の研究と異なる。本研究で明らかになったことは次の点である。「よ」「よね」「ね」はともに、話し手の認識の受け入れを聞き手に求める話し手の発話態度を表すものであるが、違いはその手続きにある。つまり、・「よ」は聞き手の認識に働きかけて何らかの変化を促したり、そのことによって何らかの行動を促そうとするものである。・「よね」は話し手の認識が聞き手の認識でもあるかを聞き手に確認するという過程をとることで、話し手の認識領域に聞き手を引き入れようとするものである。・「ね」は話し手の認識を聞き手が受け入れることを当然とみなし、聞き手の同意を求めるという過程をとることで、話し手の認識領域に聞き手を引き入れようとするものである。