- 著者
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住谷 雄幸
- 出版者
- 山梨英和大学
- 雑誌
- 山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
- 巻号頁・発行日
- vol.30, pp.115-128, 1996-12-10
わが国では、多くの名山・高山は修験者によって開山された。江戸時代に入り、講社がつくられ、信仰登山は庶民の間に広まった。宗教的な登拝だけでなく、高山に登り、その霊気にふれ、雄大な眺望を楽しむ風潮が、一部の文人・墨客の間に起ってきた。俳聖松尾芭蕉は、『奥の細道』の旅の途中で月山に登拝し、俳人大淀三千風は、富士山・白山・立山の三山を含めて多くの高山に登り、『日本行脚文集』を著した。南画の大家池大雅は三山を登り、三岳道老と号し、多くの富士の絵を描いている。山水画の巨匠谷文晃は、三山を含めて山岳名画集『日本名山圖會』を上梓し、山好きの人々に愛されてきた。また、本草学者の植村政勝は、全国の山野を跋渉して、薬草を採集し、見聞したことを『諸州採薬記抄』として書き記した。文人・墨客の山旅紀行文とことなり、一尾張藩士が記した『三の山巡』は、文政六年(一八二三)に、三十五日間をかけて三山に登った紀行文である。これは江戸時代の登山の様子を知ることができるだけでなく、道中の町や村の風俗や生活様式などについて貴重な記述が多く、興味ある文献である。