著者
佐久間 正弘
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.119-129, 2014-07-25 (Released:2015-08-24)
参考文献数
10

本稿の目的は“いじめ”に起因して発生したと言われた事件の新聞記事を検討することによって,“いじめ”についての学校批判とその責任が,誰によって,どのような言葉と理屈を用いて語られてきたかを明らかにすることである.本稿では社会問題研究の対象として,問題とされる社会の状態に目を向けるのではなく問題とされる事柄をめぐる人々の活動に着目するという「社会問題の構築主義」を参考にする.検討する事件は1985年のいわき市の小川中学校での自殺事件である.この事件は全国ではじめて,裁判で学校の責任が認められた事件である.明らかになったことは第一に,“いじめ隠し”としての批判がなされたこと.第二は,いわゆる専門家などによって学校の不作為,いじめを防止する能力不足の問題が指摘されたこと.第三は,一般の人々は新聞記事を読んでこれらのストーリに沿いながら自らの経験や身近な子供もいじめの被害者になるのではないかという不安からクレイムを申し立てたことである.