著者
佐野 友彦 和田 浩史
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.74, no.12, pp.822-829, 2019-12-05 (Released:2020-05-15)
参考文献数
35

われわれの身のまわりには,大小さまざまな棒(rod)や板(plate)状のものがあふれている.これらは薄い構造または細長い構造と総称される.ロープ,植物のつる,パスタ,海底ケーブル,リボン,ピンポン球,卵の殻などはその一例である.薄い構造の特徴は,その「しなやかさ」にある.薄い板は小さな力によって容易に大きく曲がりねじれる.ここでは,幾何学と力学が密接に結びついている.力学分野はG. Galileiの材料力学の研究にはじまり,今日では完成された学問分野という印象がある.しかし,デジタル加工技術の急速な発展と普及によって,力学は魅力的な最先端分野として現代に甦った.今日,力学の研究では,負のポアソン比をもつメタマテリアルをはじめとして,新しい概念が次々に生み出されている.とくに,座屈不安定性のように,構造のもつ対称性が破れる過程を「機能の発現」とみなす考え方が浸透しつつある.薄い構造はお互いに力を及ぼしあうことで新たな機能を生み出す.植物のつるは風に飛ばされないように棒に巻きつき,外科医は糸を結んで傷を縫合する.これらの過程では摩擦が重要な役割を果たすため,従来の境界値問題とは異なる趣きがある.曲がった板のかたちは境界条件によって決まるが,摩擦の作用のもとでの安定性を考えるには,かたちをあらかじめ決めておく必要がある.つまり,通常の境界値問題とは異なり,「かたちと境界条件が同時に決まる」問題を扱わねばならない.われわれは理論,実験,数値計算を総合的に駆使してこの問題にアプローチし,摩擦によるかたちの安定性を議論する枠組みを提案している.薄い構造が示す動力学の代表例は「飛び移り座屈」(スナップ座屈)とよばれる転移現象である.飛び移り座屈は,食虫植物であるハエトリグサがすばやく虫を捕らえるときのような,植物が俊敏に動くための仕組みとしても注目を集めている.スナップは,薄板を両手でたわませ,そのたわんだ方向を逆転させることで容易に再現することができる.われわれは,板やリボンをあらかじめ幾何学的に拘束し,境界条件を変化させることで起こる飛び移り座屈の性質を明らかにした.細長いリボンを手にとり,これをその長軸が半円を描くように拘束する.両端を同じ向きにねじると,あるねじり角度でリボンの表と裏が反転しスナップする.さまざまな硬さや厚さのリボンを使ってこの現象を再現してみると,操作の単純さに反して,じつに豊かな現象が内在していることがわかる.薄い構造が示すしなやかなふるまいは,フックの法則(線形弾性論)と剛体回転(幾何学)によって記述される.しかし,同じ材質と寸法でも境界条件によってとりうる形は全く異なる.さらに,棒状のものは結んだり編んだりすることで,板状のものは折ったり切ったりすることで,それらの単純な構造に驚くべき多彩な機能をもたせることができる.身近なかたちのしなやかさについて考察することは,いっけん複雑にみえる生物力学現象をよりよく理解したり,それらにインスパイアされた生体規範材料をデザインすることにも繋がる.手元にあるケーブルや紙切れを曲げたりねじったりしてみると,まだ見ぬ構造のしなやかさに出会うことができるかもしれない.