著者
全 彰煥
出版者
九州情報大学
雑誌
九州情報大学研究論集 (ISSN:13492780)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.57-72, 2011-03

本稿は、司馬遼太郎が40年前書いた「韓のくに紀行」の中で韓国と韓国人に対する直接的表現だけをまとめて彼の対韓認識の特徴を分析するのに目的がある。紀行の旅程は古代日本と関係の深い朝鮮半島の南地域で、徹底的な準備下に行われた歴史踏査の旅であった。特に、朝鮮に帰化した沙也可の跡地訪問と彼の文集に対する調査は当時としては稀なことであった。司馬の観点は、古代日本と関わりのある加羅と任那、百済に集中し、歴史的な人的物的交流に基づいた百済文化との同質性を確かめているが、新羅に対しては否定的立場を持っている。朝鮮ノ役以来日韓合併に至る歴史的事件・戦争に対しては比較的に客観的視覚を保っている。韓国と韓国人については、半島国家の地理的特性を理解しながらも、儒教文化の弊害による文化と民族性の短所を厳しく指摘していて、この点においての韓国人の反論、反発は当然のことであろうが、個人的には概ね共感すると共に、韓国側の冷静な再考が要ると判断される。慕夏堂文集、平済塔、当時韓国農村等に関する感想と分析においては、資料中心ではない客観性不足と当時韓国の政治、経済に対する現実的状況認識の問題が提起できる余地があると考えられる。
著者
全 彰煥 Chang Hwan Jeon 九州情報大学 経営情報学部 経営情報学科
出版者
九州情報大学
雑誌
九州情報大学研究論集 (ISSN:13492780)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.63-74,

本稿は、司馬遼太郎氏の朝鮮(韓国)関連紀行文の3 部作 - 「韓のくに紀行」「耽羅紀行」「壱岐・対馬の道」- 研究の一環であって、朝鮮関係の表現を中心に司馬氏の朝鮮認識について探ってみるのに目的がある。その内容は、1) 日本神道の原型は対馬にあり、対馬の古神道は朝鮮に定着した古代大陸信仰の影響を受けていたと見ていること 2) 「遣新羅使」の存在確認と単発性・無成果であった役割の分析 3) 豊臣の朝鮮出兵の無謀さと日韓合併の間違いの指摘 4) 中西氏の山上憶良の百済流民説への賛同 5) 古代朝鮮半島の文字(イドゥ等)が存在していないことへの残念な遺憾表明 6) 元・高麗連合軍の日本侵略過程説明 7) 朝鮮儒教文化の前近代性と閉鎖的弊害の指摘等である。このような内容において、 1) 日本の古神道の原型が対馬 ⇒ 朝鮮半島 ⇒ 大陸北部の経由であると主張している司馬氏の立場はいつも一貫している。 2) 「遣新羅史」に関する言及は、その歴史的存在自体がほとんど知られていない韓国側としては意外であるが、統一新羅の華やかな発展とは別に、日本側に積極的外交政策と国際感覚があったのを反証していると考えられる。 3) 豊臣の朝鮮出兵と日韓合併について、司馬氏は否定的批判の立場を堅持している。 4) 中西氏の主張を引用した山上憶良の百済流民説に対して賛同している。 5) 古代朝鮮の文字が不明であることに遺憾の意を表している。 6) 高麗末期は日本の倭寇勢力に蹂躙されて滅亡への決定打を受けていたことに対する司馬氏の認識は見当たらない。 7) 朝鮮儒教に対して否定的認識をもっていたのが分かる。