- 著者
-
具 慧原
- 出版者
- 日本映像学会
- 雑誌
- 映像学 (ISSN:02860279)
- 巻号頁・発行日
- vol.104, pp.31-50, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)
- 参考文献数
- 56
小津の「日本的なもの」は、彼の戦後作品が1970年代にアメリカの論者たちによって伝統的なものと解釈されて以来、盛んに議論された。しかし従来の研究は主に表象の分析に偏っているため、小津を初めて「日本的」と評価した1930年代の議論の全貌は十分に検討されていない。従って本稿は言説史的方法論を取り入れ、小津安二郎の「日本的なもの」が1930年代の日本国内においてどのように論じられたかを批評言説に即して考察し、当時に言われた「日本的なもの」という概念の内実を明らかにすることを目指す。第一に、小津に対する「日本的」という評価の出現を確認する。その上で、こうした評価を起こした三つの要因として、『出来ごころ』に見られる変化や小津の小市民映画を重視する批評家の態度、そして「日本的なもの」を話題にする日本映画批評の全体的傾向を提示する。第二に、これらの要因を踏まえながら、今村太平、北川冬彦、沢村勉の論稿を彼らの批評的立場に即して検討する。これを通して小津の「日本的なもの」は「二次元性」「腹藝・靜」「文化的混淆」として捉えられ、さらにそれらは伝統的なものに限定されておらず、小津の同時代の監督が共有するものとしてみなされたことを示す。その結果、小津の生きていた時代の日本国内における「日本的なもの」の議論は、その始まりからアメリカの短絡的な議論とは全く違い、一層複雑な様相を帯びていることが明らかになる。