著者
内山 幸久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.60-72, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
7

東京大都市圏南部に位置する神奈川県では都市化・工業化が進み,都市的産業に従事する人が増加してきた。神奈川県の人口は国勢調査によれば1960年に3,443,162人であったのが,1985年には7,431,974人となった。人口増加とは逆に農家数や農家人口が減少し,特に農家人口はその25年間に50%以上の減少率を示した。また耕地面積も25年間に54.7%の減少率を示し,多くの農地が都市的土地利用に変わってきた。しかしその中で三浦市は東京への通勤圏内に位置するにもかかわらず,耕地面積の減少は少なく,スイカ・ダイコン・キャベツの産地となっている。一方,果樹園は1960~75年に増加したが,その後その面積はわずかに減少した。果樹園の多くは温州ミカン園であり,温州ミカンは県西部の山麓傾斜地で多く栽培されている。 神奈川県では乳牛や豚や採卵鶏の飼育農家数は1960年以降減少してきたが,家畜飼育頭羽数は1975年以降あまり変化せず,農家の家畜の生産性が増加してきた。 1960~85年の農業粗生産額により,各市町村における農業所得型をみると,県東部から中央部にかけての都市化が激しい地域では,野菜類を第1位とする市町が増加してきている。また,県西部では果樹類を第1位とする市町が増加してきている。さらに県の東部から中部にかけて花卉類を農業所得型に含む市町が増加してきた。さらに県西部では植木苗木類を農業所得型に含む町村が近年に増加してきた。一方,県の東部から中部にかけて,農業生産の型に乳牛・豚・採卵鶏を含む市町が増加してきている。生産された農産物の多くが東京大都市圏の市場で販売されている。
著者
内山 幸久
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.83-94, 2013 (Released:2018-04-05)

本稿は日本における主要果樹生産の展開,および長野県北部の小布施町大島集落の土地利用変化について述べたものである。要約すると以下の通りである。ブドウや柑橘類,クリは江戸時代にすでに栽培されていた。明治期にリンゴや,別品種のブドウ・モモが日本に導入された。日本の果樹生産は第二次世界大戦後に拡大した。しかし1970 年代後半以降に,果樹園面積,特に温州ミカン園は減少した。主な温州ミカン生産地域は西南日本に分布している。リンゴ生産の核心地は青森県西部と長野県北部である。ブドウ生産の核心地は山梨県中央部と長野県北部および東部である。モモ生産の核心地は山梨県中部と長野県北部,福島県北部である。日本ナシ生産の核心地は千葉県北西部や鳥取県東部である。小布施町最大の農業集落における詳細な土地利用変化をみると,1969 年にはリンゴ園と田が農地の大部分を占めていて,土地利用パターンは単純であった。1969年から2005 年の間に,リンゴ園が減少した。モモ園やブドウ園,クリ園はわずかに増加した。大島集落ではリンゴやブドウ,モモは集約的に栽培されているが,一方,クリはそれほど労働力を必要としていない。1992 年から1995 年にかけて上信越自動車道が小布施町西部で建設された。大島集落における上信越自動車道の東側では小布施総合公園が建設された,これらの道路や公園は大島集落では大きな面積を占めている。