- 著者
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平岡 昭利
- 出版者
- 地理空間学会
- 雑誌
- 地理空間 (ISSN:18829872)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, no.1, pp.1-17, 2011 (Released:2018-04-11)
明治期,一獲千金をもくろみ,羽毛を獲得するためアホウドリなどの鳥類を追った日本人の行動は,太平洋の島々へと拡大していったが,本研究は南シナ海の東沙(プラタス)島への日本人の進出を考察したものである。東沙島へは1901 年にアホウドリを求めて玉置半右衛門や水谷新六が探検を行ったが,同島にはアホウドリは生息せず,玉置はすぐに断念し,水谷は目的をカツオドリに代えて進出したが失敗した。次に進出した西澤吉治は,当初,鳥類の捕獲を企図したが,鳥糞(グアノ)・リン鉱採取も視野に入れ,大量の労働者を導入した。無人島が一躍,企業(会社)島「西澤島」に変貌し,無人島進出の行為目的が鳥類から鳥糞・リン鉱採取に変わるのである。また,西澤の事業着手後,領土問題化した西澤島事件は,対日ボイコット運動などの中国のナショナリズムの高揚のなかで起こったもので,日本政府はこれらの運動により大きな痛手を受けており,本研究では,同事件について,日本が西澤島を清国領として認め,清国が西澤の資産を買収することで決着したことにも言及した。