著者
利部 修
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.8, no.12, pp.109-121, 2001-10-06 (Released:2009-02-16)
参考文献数
35

東北・北海道を除く日本列島の長頸瓶には,7世紀から8世紀にかけてフラスコ形・有衝形・球胴形・釣り鐘形等様々な形態があり,それをA類からJ類まで分類し北日本(東北・北海道)の様相と比較した。これらは,大局的に8世紀後葉以降球胴形で高台をもつ形態に統一されていく。ところが,主として北日本の9世紀から10世紀にかけては,胴部と頸部に環状凸帯の付く環状凸帯付長頸瓶が広範囲に分布する。一方,城柵設置地域を含む秋田・岩手県から青森県・北海道西岸にかけての北域では,胴部調整にロクロを用いない東北北部型長頸瓶が濃厚に分布し,秋田・岩手県の城柵設置地域を含む郡制施行地域以南のロクロを用いる手法と対峙する。環状凸帯付長頸瓶を,前者のR1類・後者のR3類・両者併用のR2類に分けると,分布の大局は福島県域のR1類と,青森県・北海道西岸のR3類とが対峙し,城柵設置地域ではR1・R2・R3類が併存する。北日本の環状凸帯付長頸瓶は,9世紀前葉に会津大戸窯跡で発生し,城柵設置地域まで広がる。そして,城柵設置地域から北域にかけて東北北部型長頸瓶の特徴を備えながら更に分布域を拡大し,五所川原窯跡ではR3類が量産される。本来,蝦夷政策で採用された希少価値の高いR1類環状凸帯付長頸瓶が,形骸化して装飾性の痕跡を留めたR3類に変質したとみられる。