著者
鈴木 文明 前旺 和司
出版者
市立名寄短期大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2006

以下のことを、在日朝鮮人一世のハルモニたち(80歳代)に対する集団面接、個人面接によって明らかにした。インフォーマントの記憶牽たどるために、孫基禎と力道山の二名を提示した。孫基禎がベルリン・オリンピックのマラソン競技で優勝し、それを報道する東亜日報に掲載された彼の写真から日の丸が抹消されると言う事件が起こったのは1936年であった。このことについて、「(ずっと後になって=解放後)聞いたことがあるような気がする」ハルモニが何人かいた他は、当時、既に思春期以上の年齢に達していたはずであるが、ハルモニ達の記憶の中に孫基禎はいない。非識字者(1930年当時、郡部における女子の推定就学率は5.5%)であったということが最も大きな要因であるが、植民地下の朝鮮人女性の生活がメディア・スポーツなどとそもそも全く無縁であったことを示している。次に、1950年代に「アメリカで最も有名な日本人」と言われた在日朝鮮人の力道山については、すべてのハルモニが記憶していた。「(力道山が)朝鮮人とわかってから、それはもう応援の力の入り方が違いました」と言うように、同じ朝鮮民族であったことが記憶を強烈なものにしている。しかし、その記憶は力道山そのものというよりも、お父さん(夫)が「ものすごく好きやった」とか、「力道山のプロレスのある日は機嫌が良かった」というように、「力道山のプロレスを観る夫」を眺めていた記憶であった。さらに、力道山の記憶は、テレビの所有/非所有にまつわる困窮生活の記憶であった。