著者
劉 宇婷
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ
巻号頁・発行日
vol.57, pp.221-242, 2018-03-30

太宰にまつわる「伝説」の一つに桜桃忌がある。これは太宰治の命日で、俳句の「夏」の季語にもなっている。発足当時の桜桃忌は、太宰と直接親交のあった人たちが遺族を招いて、桜桃をつまみながら酒を酌み交わし太宰を偲ぶ会であった。常連の参会者の中には、佐藤春夫、井伏鱒二、亀井勝一郎、檀一雄、野原一夫などがいた。そしていつの間にか、桜桃忌は全国から十代、二十代の若者などが数百人も集まる青春巡礼のメッカへと様変りしていった。多い時期に千人以上も訪れたという。まさに"季節の風物詩"の一つになっている。 本研究は、主に文化としての「桜桃忌」に焦点をあて、新聞の桜桃忌の語り方と太宰の「有名性」の関係について論じた。計量テキスト分析ソフト「KHCoder」を使った内容分析からわかるように、新聞が大いに語ったのは、「命日」に「禅林寺」で「行う」桜桃忌、心中と関連付けられる桜桃忌、大勢の女性「ファン」が訪れる桜桃忌である。このような新聞の語りをつうじて、魅力的な太宰治と桜桃忌のことが伝わり、情報が広がった。これが要因となって、桜桃忌の参加者はますます増えていった。そして、逆に新聞メディアの桜桃忌報道を促すに至った。そのような「社会的出来事―ニュース―社会レベルでの認知・態度・行動―社会的出来事」の循環の中で、太宰治の「有名性」が構築されてきたと思われる。一方、桂英澄の『桜桃忌の三十三年』、雑誌の桜桃忌関連記事との比較の中で、カリスマに群がる「ファン」、桜桃忌参加者のもうひとつの顔、及び「桜桃忌」という表象が新聞メディアではあるステレオタイプで表現されてきたことがわかった。新聞がこのように物語を作ったのは、1960年代前後から太宰治は文学史に一定の地位を占める存在となり、「合意の空間」に入ったためである。この空間における新聞ジャーナリストの役割は、作家の神話性を支持し、称賛することにある。そして、作家の神話性を揺がす言説は、新聞ジャーナリストにより、公的な場から排除されるのである。