- 著者
-
藤田 智弘
南 雄人
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.9, pp.611-615, 2022-09-05 (Released:2022-09-05)
- 参考文献数
- 11
あなたは右利き・左利きどちらだろうか? 我々が左右対称ではなく利き手があるということは,物理的には鏡像反転対称性すなわちパリティ対称性が破れていると表現できる.最近,宇宙にも利き手があるという報告がなされた.もちろん宇宙には手はないが,宇宙の中を飛ぶ光に複屈折(birefringence)というパリティ対称性を破る兆候が観測されたのである.複屈折とは直線偏光している光の偏光面が回転する現象である.光が方解石や水晶などの異方性結晶の中を通ると複屈折が引き起こされることが知られている.偏光面の回転方向は右回りと左回りがありえるため,どちらかが選択される複屈折はパリティ対称性を破る現象である.素朴には真空である宇宙空間での複屈折,すなわち宇宙複屈折が起きるとは考えにくい.しかし,2020年に宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の衛星観測データを解析し,宇宙複屈折の兆候を観測したという報告がなされた.ビッグバンの際に発せられた光は,宇宙年齢である138億年にわたって宇宙を飛び続けたのち,欧州宇宙機関のPlanck衛星によって観測された.その結果によると,138億年の伝搬でCMBの偏光面が地球から見て右回りに0.35±0.14度回転していることが分かった.従来の観測では,宇宙複屈折の検出が難しかった.直線偏光を測定する検出器が回転していると,誤った複屈折角度を測定してしまうため,正しい観測のためには精度のよい検出器の較正が必要である.しかし,従来の観測では検出器の較正の系統誤差が大きいことで,観測が制限されていた.今回の観測では,Planck衛星がCMBの光だけではなく天の川銀河の光も観測していることを用いて検出器の較正をおこなった.地球に近い銀河の光が複屈折されていないことを利用すると,検出器の回転を較正できるのである.それにしてもなぜ,宇宙空間が複屈折を引き起こすのだろうか? 宇宙空間を満たしている未知の存在が,光の偏光面を回転させているのかもしれない.実際,超新星の観測などから我々の宇宙は加速膨張していることが知られており,その原因として暗黒エネルギーなる未知のエネルギーが宇宙空間を満たしていると考えるのが現代宇宙論では標準的である.暗黒エネルギーが宇宙膨張だけでなく光にも影響を与えるとすれば宇宙複屈折を説明できるかもしれない.暗黒エネルギーの候補かつ,光と相互作用し,さらにパリティ対称性を破るような仮説的存在としてAxion-Like Particle(ALP)が素粒子物理学・宇宙論ではよく知られている.実際,宇宙複屈折の報告前から,ALPは暗黒エネルギーとして宇宙を満たしているのではないかという提案がなされていた.さらに最近の詳しい研究によると,その質量が小さすぎない限りはALPは他の実験結果と無矛盾に観測された宇宙複屈折を説明できることが報告されている.CMBを観測する将来計画として,Simons ObservatoryやLiteBIRD衛星などが推進されている.これらの将来観測によって宇宙複屈折もより高精度で測定されることが期待される.さらに,宇宙複屈折の異方性(空の方向依存性)や時間発展を用いることで様々なモデルの検証もおこなえる.宇宙の利き手をめぐる研究は我々の宇宙物理への理解を大きく進めてくれるかもしれない.