著者
南谷 美保
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.61-85, 2019-09-25

四天王寺に現存する江戸期以前の童舞舞楽装束はさほど多くはないが、「四天王寺舞楽之記」をはじめとする関連史料によれば、江戸時代の四天王寺における舞楽法会では頻繁に童舞が演じられていたことがわかる。したがって、現在の四天王寺に伝来する江戸期以前の童舞舞楽装束の現状と、江戸時代の舞楽上演状況とは合致していないといえる。この矛盾を踏まえ、本稿では、江戸時代の四天王寺の舞楽法会における童舞上演の実態を、常楽会と聖霊会を中心に分析し、童舞で演じられた舞の実態を明らかにする。さらに、童舞を担当する楽家の子弟の年齢分布について考察し、走舞の舞童が同時に平舞を大人の舞人とともに舞っている事例があることを踏まえ、童舞かそうではないかの区別に関しては、走舞についてのみ厳密にこれがなされ、その区別をする基準は、童舞装束を着用するかどうかよりも、面を着用するかどうかであったことではないかとの推論を立てた過程について述べるものとする。これらの考察を踏まえ、四天王寺に伝来する童舞舞楽装束の実態と、江戸時代における童舞の演奏実態との間の矛盾はどのように理解すべきなのかについて考察する。
著者
南谷 美保
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.47-73, 2018-09-25

三方楽所楽人は、禁裏と江戸幕府関係の儀式およびこれらに関連する社寺における神事、法会などの奏楽を担当し、さらには、三方楽所以外のたとえば日光楽人のような楽の演奏を職務とする人々の指導を行っただけではない。すでに、多くの考察が明らかにしているように、江戸時代後半になると楽の演奏を職務とする専門職以外の「素人」弟子への楽の指導が広く行われるようになっていた。つまり、三方楽所の楽人は、雅楽のお師匠さんとして、雅楽の演奏を職務としない「素人」集団への指導も行っていたのである。ところで、そうした「素人」集団を対象とする楽の指導の場においては、指導者である楽人から稽古者に対して、一方的に楽に関する知識や技術が伝達されるだけであったのだろうか。本稿においては、そうした楽の稽古の場に集う「素人」とされた楽の稽古者集団がどのような人々によって形成され、そこではどのような「文化」が共有され、それがどのように楽の専門家である楽人に関わっていたのかということについて考えてみたい。以下では、東儀文均の日記である『楽所日記』のうち、弘化・嘉永年間のものを対象として、文均と京都における弟子たちとの交流を考察するものとする。