著者
古木 誠彦
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.109-121, 2003-09

大盂鼎は、清朝道光 (一八二一〜五〇)の初めに陵西省都縣禮村より出土したと伝えられている。戦時中は埋蔵して戦火を避けたとも言われている。高さ一〇〇・八cm、重量一五三・五kg、口径七八・三cmの鼎で、その威風堂々とした様子はいかにも周王朝の権力の絶大さと、国の安泰を象徴しているが如くである。その姿以外に、銘文の内容からもその様子が読み取れるため、西周王朝の歴史研究にはなくてはならぬ文献の一つである。そのためにこの内容は、内外問わず (特に中国国内においては) いろいろな解釈がなされている。銘文中の年号より、西周王朝・康王時のものであると比定されている。また康王三年のものである。銘文中には、康王の言が多く記載されているため、王自身の思想や、周国建立以来の精神も理解でき、また殷国滅亡の様子も記載されている。なにより大盂鼎出土地が政治の中心地であるが故に、当時の使用言語についても理解可能な資料であると考える。しかしながら大盂鼎銘文には、同年代頃で他地域出土の銘文に記されている文字とは違うものが幾つか見られる。西周王朝の中心、中国の中心地でありながら、当時、一般的に使用されていた文字とは違う文字が何故あるのか。幾つかある異体文字についての解読を中心とし、それらの文字が意味することについて考察を行う。そして、そこより垣間見える康王時西周社会の実状の究明もそうであるが、今後の西周時代の文字変遷を調査研究していく上での、いち基盤としたい。