著者
古河 佳子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

1.はじめに<br><br>近年,日本における地域振興の手法の一つとして,観光産業が注目されている.そうした観光による地域振興手法は,今日,多くの地域で試みられる傾向にある.<br><br>1970年代から,観光キャンペーンや文化財保護法の施行を背景に,国内観光は日本らしさや伝統文化を新たな素材とするようになってきた.この結果,都市化の波から取り残された地域で,自地域の資源を活用して観光を誘致する取り組みがなされるようになった.<br><br>観光による地域振興については,住民意識や活動の影響など,地域内での展開に着目した研究が数多くあるが,本稿では,個別地域内での展開ではなく,実施地域間の関係に着目する.この関係を解明することは,類似の地域振興手法が広がっていく現象を理解し,その趨勢を把握する一つの糸口になると考える.本稿では,全国的に活用されている観光素材として,観光ひな祭りを取り上げ,地域同士の情報の伝播や広域的な関係が全国的展開をもたらした過程と,全国的展開へ向かう動きが収束した後における広域的な関係に焦点を当てる.<br><br>ここでは,観光ひな祭りの概要と地域間の関係を広く把握するために,全国的展開の核となった徳島県勝浦町,大分県日田市を中心とした12か所のひな祭り関係者に対する聞き取り調査(2017年3月~11月実施)に加え,69か所のひな祭り関係者に対するアンケート調査(同年10月実施,回収数40,回収率58.0%)を行った.<br><br><br><br>2.観光ひな祭りの概要<br><br>観光ひな祭りとは,家庭の習俗であったひな祭り・ひな人形を素材として,2~3月の特定の時期に,町内の軒先や公共施設に飾りつけをする観光イベントのことである.観光ひな祭りは,1990年代から2000年代にかけて全国的に広まり,筆者が把握しているだけでも130以上の地域で実施されている.特徴としては,2月の観光オフシーズンに合わせて開催される傾向にあるほか,ひな人形が地域内で調達可能であるため,必要な資金が少額で済むことや,住民を巻き込み,なかばボランティア的に開催できることが挙げられる.これらの特徴が,各地で類似のイベントが急速に広まることを後押ししたと考えられる.また,直接的には採算性に乏しいこともあり,観光振興だけでなく,地域内のコミュニティや住民のアイデンティティに対する効果も含めた目的をもって実施されている.<br><br><br><br>3.観光ひな祭りの全国的展開と交流形成<br><br>観光ひな祭りの広域的展開には,①形式の伝播,②開催手法の伝承,の二種類の過程が存在する.①形式の伝播は,他地域から「ひな人形を町に飾る」というアイデアを取り入れるが,自地域で開催する過程は手探りで行うというものである.②開催手法の伝承は,開催地域が先進地域とのネットワークやイベント成功への強い意識を持っている場合に,先進地域からイベントや組織の運営に関する助言を得た上で観光ひな祭りを始めるというものである.<br><br>これに加えて,送り手による働きかけが,観光ひな祭りの全国的展開に大きな役割を果たしたという面も見られる.九州のひなまつり広域振興協議会では,九州各地で,貴重なひな人形の一般公開を呼びかけるとともに,人形の鑑定やコーディネートを行っている.徳島県勝浦町では,ひな人形里親制度を通じて他地域にひな人形を提供することで,ひな祭りと強く結びついた背景を持たない地域での観光ひな祭りを実現させている.<br><br>全国的展開に向かう動きは,2010年以降飽和状態に達しており,その結果,地域間に競争が見られるようになっているが,観光ひな祭りを実施する各地域は,他地域を競合相手とは捉えておらず,ひな祭りサミットを開く等の手段を通じて,広域的な情報交換を行い,自らの独自性を出そうとしている.しかし,観光客のルートに即して連携しようとする動きはほとんどなく,年間のうちの同じ時期に行われている利点を活かしきれていないのが現状である.また,ひな祭りが同じ時期に行われることは,広域的連携の一つの障害となっており,これらの連携が持続的に深まっているとは言えない.<br><br> こうした結果を踏まえると,地域振興手法の全国的展開には,形式の伝播によるアイデアの入手と,開催手法の伝承があり,加えて送り手の働きかけが大きな役割を果たしていると言える.また,全国的展開が収束した後も,地域間関係は友好的であり,地域の独自性を出すために,さらなる情報交換が行われることになる.各イベントが地域の手探りで行われ,地域の特徴と深く結びついているために,他地域の模倣と認識されにくいことや,情報の送り手となる地域が,先進地域として認識されることを肯定的に捉える傾向にあることが背景にある.