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文献一覧: 合阪 學 (著者)
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アレクサンドロス大王以後(前323-281年)
著者
合阪 學
出版者
宝塚造形芸術大学
雑誌
Artes : bulletin of Takarazuka University of Art and Design : 宝塚造形芸術大学紀要
(
ISSN:09147543
)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-22, 2004-03-31
前323年、アレクサンドロス大王がバビロンで没した時、彼の帝国-西方に父祖が築いた「マケドニア王国」に東方での新征服地(「アジアの王国」)を附け加えたもの-の全体を組織する仕事には全く手が着けられていなかった。広大な領上を統治する原則をめぐって、以後、ディアドコイの間で統一主義者と分立主義者が対立しつつ、「帝国の統一」が将軍たちの手で解体される過程が進展する。それはイプソスの戦い(301年)で一応の粘着を見るが、最終的にはクルペディオンの戦い(281年)で、ヘレニズム領域王国の分立が確立するまで継続した。
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カティリーナの陰謀
著者
C.=サッルスティウス=クリスプス著
合阪學 鷲田睦朗翻訳・註解
出版者
大阪大学出版会
巻号頁・発行日
2008
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OA
アレクサンドロス大王
著者
合阪 學
出版者
宝塚造形芸術大学
雑誌
Artes : bulletin of Takarazuka University of Art and Design : 宝塚造形芸術大学紀要
(
ISSN:09147543
)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.29-42, 2006-03-31
アレクサンドロス大王の東征の軍は小アジア、シリア、エジプトを併合してのち、ガウガメラの戦いで勝利を得、その結果、彼はそれまでの「マケドニアの王」に加えて「アジアの王」の称号を帯びた。バビロン、スサ、ベルセポリスの征服ののち、東イランでの遠征では「アジアの王」としての王権とマケドニア軍兵士の伝統がしばしば衝突した。バビロンへ帰還したアレクサンドロスは東方遠征に続いて西方遠征の計画を懐いていて、彼の展望は西地中海全域の征服へとひろがるが、彼の突然の死はその実行を不可能にした。