- 著者
-
崎田 喜美枝
- 出版者
- 宝塚造形芸術大学
- 雑誌
- Artes : bulletin of Takarazuka University of Art and Design : 宝塚造形芸術大学紀要 (ISSN:09147543)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.25-46, 1990-03-20
'60年代にアンドレ・クレージュ(パリ)とマリー・クワント(ロンドン)が発表したミニスカートが,世界中にセンセーションを巻きおこしました。'60年代後半から'70年代には,パンツといえばスポーツウエアやホームウエアだったアイテムが,サンローランがシティパンツを提唱し,あっという間に世界の女性に愛用され,タウンウェアはもちろんフォーマルウェアとして,なくてはならないものになりました。'70年代は,"ウーマンリブ"ということばに象徴されるように,女性が主張する時代でもありました。その流れから,'80年代前半のファッションは,男性と対等意識を表すように,パッドを入れて肩幅を強調したショルダーラインで,メンズスーツのようなテーラードなジャケットを多くのデザイナーが働く女性のために発表し,ワイシャツ,ネクタイ,パンツなどもレディス・ファッションの中で,異和感のないアイテムになりました。'86年,男女雇用均等法が施行されたこともあり,男性のエグゼクティブと同じようなスタイルが台頭し,サッチャー英前首相,クレッソン仏首相,ヒルズ米通商代表など,世界の女性政治家がテレビ,新聞をにぎわすのに代表されるように,あらゆる面で活躍する女性が増えました。'80年代半ばには,ジャンポール・ゴルチェやティエリー・ミュグレーがアンドロジナス(男女両性)ファッションを提唱し,若者たちにすぐに受け入れられましたが,ユニセックスなもの,例えばタキシード,ネクタイ,ハンティング,ビジネスバッグなどのメンズグッズを女性が,またソフトなパンツやシースルーのシャツブラウスを男性が着るなど,一部の若者だけでなく,アダルトな男性,女性にも浸透しました。エグゼクティブとして活躍する女性管理職から新しい女性が育ち,社会進出が定着し,肩ひじ張ったりするのではなく,積極的に仕事をしながらも,おしゃれを忘れない"キャリア・シック"に移行し,知的で洗練された現代女性のエレガンスが,パリ,ニューヨーク,そして日本にも共通するテーマとなりました。アライアをはじめとして,ボディコンシャスで,からだのラインを美しくみせるファッション,またニューヨーク・ファッションに代表される洗練されたコンサバティブなエグゼクティブ・ファッション。'80年末から'90年にかけ,アルマーニやフェレに代表される知的でありながら,女らしいイタリー・ファッションが台頭してきました。その中心となっているのは,19世紀からの伝統あるパリ・オートクチュールとパリ・フレタポルテだともいえます。ファッションが大きく移り変わってゆくことは衆知のことですが,これは単なるファッションの変化だけでなく,社会背景とともに女性の生き方が変り,ライフスタイルも高級志向になりました。食生活が変化し,健康のため,痩身のためのヘルシーメニューをそろえた専門レストランも登場しました。一方,余暇にスポーツをする人も多いのですが,その時間もない多忙なビジネスマンやオフィスレディたちは,会社への生き帰りに,ウォーキング-歩くことで健康不足を解消しようとしている"アーバンハイカー"がニューヨークで出現しました。ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ,チェルノブイリ原発事故,オゾン層破壊,ベルリンの壁崩壊,EC統合,大旅行時代,湾岸戦争など,自然環境問題をはじめ,政治,経済,社会,民族文化など,世界の出来事をリアルタイムに,各国で受けとめる今日では,ファッションも世界的な観点から見ることが必要だといえます。"アース'90"と題して環境問題に関心を持つ世界のミュージシャンが,子供の未来を守るコンサートに参加するなど,「自然を愛そう」「地球を大切にしよう」という環境保護-エコロジーがクローズアップされています。その影響を受けて,'90年代はじめのファッションは,エコロジーカラーやアースカラーといった,自然のモチーフや健康であること-スポーツマインドが主役となっています。'90年春夏,'90〜'91秋冬のニューヨーク,ロンドン,マドリッド,ミラノ,パリのプレタポルテ及び,パリオートクチュール・コレクションから,時の流れの中で生活文化や女性の生き方などを,ファッションを通して考察します。