著者
吉岡 信行
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.14-22, 2022-01-05 (Released:2022-01-05)
参考文献数
44

多体系の織りなす物理現象を調べることで,森羅万象と我々人間の知識を結ぶことができる.同時に,この魅力的な橋渡しを行うことは,長きにわたって物理学者の前に立ちはだかる難問でもある.古典・量子の系を問わず普遍的に現れるボトルネックの一つが,系のサイズに対する「次元の呪い」である.これは,ヒルベルト空間やスピン配位空間などの探索空間が拡大し,厳密に計算するために必要なコストが膨れ上がる,という問題だ.次元の呪いは,大規模な問題を取り扱うにあたって,原理的に回避できないため,効率的かつ精密に近似する手続きが必要となる.計算機性能が今ほど高くなかった時代から,現象の本質を抽出するような低次元表現の理論的研究は盛んに行われてきた.古くは熱力学や統計力学などの,マクロな系の性質を少数の「特徴量」によって体系的に理解する試みに始まり,様々な理論体系が創出されていった.ただし,そのような発展を遂げてなお,全容が明らかになっていない多体物理現象は山のようにあることを鑑みると,大規模な数値計算による解析は,今後ますます重要性を増していくものと考えられる.特に,物理的直感をはじめとした「科学者によるバイアス」を,極力排除した手法が求められるが,これもまた一筋縄でいく問題ではない.このような問題意識に基づいて,「広大なデータ空間を網羅するような,強力な非線形関数」を探し続けてきた研究分野の一つが,機械学習である.画像認識などのタスクに向けて設計された数理モデルの中でも,最も成功しているものの一つとして挙げられるのが,ニューラルネットワークだ.計算機の演算性能の向上や最適化アルゴリズムの発達によって,ニューラルネットワークは,多岐にわたるデータ処理において,圧倒的な威力を発揮するようになってきた.ここで,量子多体系における波動関数や,古典多体系における熱平衡状態などといった物理的な記述もまた,「データの分布」とみなせることに注目しよう.多体状態の特徴量もまた,強力な「特徴抽出能力」を有するニューラルネットワークによって,学習することが可能なのではないだろうか.実際,物理量の特徴をコンパクトに表現でき,多体現象を効率的かつ大規模に調べることが可能だとわかってきた.ニューラルネットワークが捉えることのできる空間での実効的な多体物理を調べる「変分計算」や,測定からもとの状態を推定する「トモグラフィ」など,好例は尽きない.野心的な試みの中には,観測結果を元に背後の支配方程式をニューラルネットワークに学習させることで,新たな物理法則を発見できないか,という試みもある.古典計算機だけでなく量子デバイスの演算性能が向上し続けている今,両ハードウェアの恩恵を享受する受け皿が求められている.より強い表現能力を求める動きは,機械学習・量子多体物性などの分野の垣根を超え,加速し続けている.そのような潮流の中で,ニューラルネットワークによる表現は,さらなる異分野融合を促す鍵の一つになっていくだろう.