- 著者
-
吉村 佳樹
- 出版者
- 北海道大学大学院文学院
- 雑誌
- 研究論集 (ISSN:24352799)
- 巻号頁・発行日
- vol.20, pp.15-32, 2021-03-31
T・M・スキャンロンの契約主義は,非功利主義的な体系的理論として大きな影響力を持ち続けている。彼の理論は,元々,道徳の本性を説明することを目的としたある種のメタ倫理学的理論として提示された。彼は,そのような理論としての自身の理論の主要な目的を①道徳の主題と②道徳的動機づけに適切な説明を与えることとしていた。特に後者に関しては,前者の説明をする際の基礎となっていたり,スキャンロン自身が契約主義を受け入れる大きな理由となっているなど,大きな重要性を持つものである。しかし,この道徳的動機づけの契約主義的説明に対しては幾つかの批判が投げかけられている。また,その批判の中にはスキャンロンの主張が私たちの日常的な感覚に反すること含意しているという批判もある。スキャンロンは自身の理論の妥当性の一つを私たちの感覚との整合性のようなものに求めているため,仮にこうした批判が妥当なものであれば,契約主義にとって重大な問題となりうる。本稿では,そうした道徳的動機づけの契約主義的な説明に投げかけられている批判に応答していく。まず,スキャンロンが道徳的動機づけと呼ぶものとその契約主義的説明を明確にすることで,投げかけられている批判がスキャンロンの議論のどのような部分に対してのものなのかを明確にする。その後,道徳的動機づけの議論一般に投げかけられている批判と派生的な議論に投げかけられている批判とを検討していく。その検討においては,批判の多くはスキャンロンの議論に対する誤解に基づくものであることを示すとともに先に述べた私たちの感覚に反した含意を持つとされる部分はそもそも契約主義にとって中核的な要素ではないため,仮に本稿での応答が失敗していたとしても契約主義にとって批判者達が考えている程重要な問題ではないことを示す。