著者
間枝 遼太郎
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.17-37, 2021-03-31

本稿では、叡山文庫天海蔵に蔵される『諏訪大明神画詞』の写本を紹介し、そのうちの縁起絵第五までの翻刻を行う。『諏訪大明神画詞』の写本はこれまで諸本系統が整理される中で十数本が確認されているが、当該写本はそれら先行研究にて言及されたことのない新出本である。 「天海蔵」は南光坊天海が蒐集した典籍の総称で、それらは天海の死後、承応三年(一六五四)に毘沙門堂公海により日光山・比叡山・東叡山の三山に分置された。現在の叡山文庫天海蔵の典籍の多くは、その際に比叡山に配されたものである。そこから当該写本についても天海旧蔵本であったことが予想されるが、そのことは、同じく新出本である正教蔵文庫本『諏訪大明神画詞』の奥書に、万治二年(一六五九)に慈眼大師(天海)の本より書写した、とあることから裏付けられる。この正教蔵文庫本の底本となった「慈眼大師御本」こそ、現存する叡山文庫天海蔵本のことであると判断でき、その書写年代は少なくとも天海の死去する寛永二十年(一六四三)以前と考えられるのである。 なお、『諏訪大明神画詞』の諸本の書写年代は、最も古いものが文明四年(一四七二)写の権祝本(神長官守矢史料館所蔵)、次に古いものが慶長六年(一六〇一)写の梵舜本(東京国立博物館所蔵)とされるため、この叡山文庫天海蔵本は現在確認できる中でおおよそ三番目に古い写本ということになる。ただし、最古写本とされてきた権祝本に関しては、権祝綱政(明暦三年(一六五七)死去)の書写本を写した系統の本であり江戸中期以降の成立ではないか、とする説もあり、その書写年代については更なる検討が必要な状況にある。権祝綱政書写本と同時期かそれよりやや早くに成立したと考えられる叡山文庫天海蔵本の存在とその本文は、そうした諸本の問題を考える際にも重要な手掛かりを与えてくれるだろう。
著者
間枝 遼太郎
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.59-79, 2022-01-31

本稿では、叡山文庫天海蔵『諏訪大明神画詞』の祭絵部第一から第七、および末尾に付随する『当社春日大明神之秘記』の翻刻を行い、また『当社春日大明神之秘記』の解題を付す。 『当社春日大明神之秘記』は、諏訪信仰研究においては『諏訪大明神画詞』の教林文庫本などの末尾に付随している文献として比較的古くから存在が認識されていたものの、春日社の研究ではあまり知られないものであった。春日社の社記を多く収録する『神道大系』神社編十三春日(神道大系編纂会、一九八五年)や藤原重雄・坪内綾子・巽昌子「中世春日社社記拾遺」(『根津美術館紀要此君』第四号、二〇一三年三月)などでも紹介はなされていない。 『当社春日大明神之秘記』の作成者と考えられる人物は、元亀三年(一五七二)の奥書に名が記される「采女春近」である。采女春近は春日社の神人(下級神職)の中でも有力な家である南郷常住神殿守家(采女姓)の人間と推測され、故実に詳しい人物であったと思われる。 『当社春日大明神之秘記』の内容は、基本的に文永年間頃成立の『中臣祐賢春日御社縁起注進文』を素材としながら、十六世紀の当時までに伝わっていた他説、さらには比較的新しい説なども組み込んだものとなっている。室町時代には春日社の社家による社記の研究は停滞したとも言われるが、『当社春日大明神之秘記』はそのような時期における、春日社の社記に関する活動を示す貴重な資料の一つとして位置付けることができる。
著者
崔 文婕
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.123-140, 2022-01-31

本論は,映画監督・脚本家の大和屋竺が独自に構築し,J ホラーにも影響を与えた「恐怖映画論」の背景についての研究である。彼の書いたもの(体系的ではない)を縦断して得られる「恐怖映画」の認識は一見,同時代の日本映画批評と同じ土壌にありながら,大和屋自身の経験(たとえば本土から離れた北海道出身であること,インドでの流浪体験など)と,思想(西洋思想に影響されるのではなく,自分の実体験に基づく思考)によって,独自の寓喩性に向かう進展を見せた。基本にあったのは,現代美術の「オブジェ」を捉える着眼,さらにはアヴァンギャルディズムとドキュメンタリズムに関わる見解で,彼の述懐では,日活へ入社して具体的に映画作家の道に入る前に,花田清輝と松本俊夫から影響を受けている。また,オブジェに関する見解もほぼ松本俊夫を踏襲している。ところがその後の大和屋自身の奔放な映画評論,あるいは師匠・鈴木清順の「非連続」の美学への接近により,さらに本質的・前衛的な恐怖映画観が生まれた(それを,J ホラーブームを牽引したひとり高橋洋らに継承される)。本論は大和屋の映画理論の源流の探求を目的に,彼の実作活動と批評活動に照明を当て,松本俊夫のアヴァンギャルド理論との相違点を明らかにする。第一節では,大和屋のオブジェ論を中心に,松本俊夫のシュルレアリスム=ドキュメンタリズムを特徴づける「オブジェ」から,大和屋の見解がいかに離反していったかを検証する。従来も映写機,ダッチワイフなど,大和屋が作品に頻用するオブジェは,彼の作品の大きな特徴として認識されてきた。これらは明らかに松本俊夫のオブジェ論の影響下にあるとされてきたが,実際は作家が「ものを見つめる」主体的な発見よりオブジェが各状況内に変貌していく「ダイナミズム」がそこに加味されることで,松本理論からの超越も図られている。第二節では,「凝視」における松本俊夫のアヴァンギャルド理論と大和屋の映画理論との相違性を分析することで,松本俊夫の理論の重点である作家の主体性からどのように大和屋が宣言したインパーソナルなエロダクション運動になり代わったかを明らかにし,大和屋の映画理論における作家の問題を解明する。第三節では,大和屋と同時代に書かれた松本俊夫の「状況」の概念と大和屋が多用する評論用語「地獄」との同質性を分析することで,両者の関連性をさらに確定する。特に,松本の状況論における早期の主体論からの転向が,「オブジェ」,「凝視」における大和屋の超越と同質化していったことを解明し,大和屋の理論の重要性を明らかにする。
著者
番匠 美玖
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.107-137, 2019-12-20

本研究の目的は,武蔵御嶽神社の狼信仰に関わる人々が,武蔵御嶽神社で行われている狼信仰の対象であるオイヌ様と既に絶滅しているニホンオオカミとの関係を,どのようにとらえているのかを明らかにすることである。筆者は日本では神として崇められていたニホンオオカミが,種としては絶滅してしまっている,という状況に疑問を持った。ニホンオオカミと日本人との関係という点においては,かつては畑の害獣であるシカやイノシシを狩ってくれる存在として,農民はオオカミを盟友としてみていたとも言われている(Knight 2003)。しかし何故,現在ニホンオオカミは絶滅し,狼信仰は残っているのだろうか。 こうした状況を踏まえて本稿では,狼信仰の実態調査を通じて狼信仰の対象であるオイヌ様と,既に絶滅しているニホンオオカミとの関係に焦点を当てた。その結果,もともとは同一の存在であったニホンオオカミとオイヌ様だが,江戸時代後期から明治維新にかけての社会やニホンオオカミの変化の中で,人に及ぼす被害は「ニホンオオカミ」が,憑物落としや昔ながらの害獣除けは「オイヌ様」が行っているものと分岐させて捉えることで,矛盾したこの状況を説明しようとしたのではないか,という仮説が浮かび上がった。 第一章では動物に関する研究を人類学の分野で行う意義や,近年の人類学の流れについて概説する。第二章では動物としてのオオカミと,信仰の中での狼について世界的な視野を交えつつまとめる。第三章からは筆者がフィールドワークをした武蔵御嶽神社の概要と歴史について述べ,第四章ではフィールドワークについて報告している。第五章ではフィールドワークの分析を行い,本稿の問いに答えている。
著者
肖 潔
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.153-166, 2021-03-31

本研究では,交感機能という語用論的観点から雑談の分析を試みた。雑談の本質を見極めるために,話し合いの本題の特徴(形式内容と機能)と対比することで雑談の特徴をとらえた。分析対象として,制度的場面に現れる雑談を選択し,雑談の表現形式と役割を考察した。分析データは東京都議会速記録2020年(新型コロナウイルス感染症対策補正予算等審査特別委員会)を使用した。 本研究では,先行研究を踏まえながら,雑談の定義と判別方法を提案し,雑談の種類及び交感発話との関係も論じた。雑談は,話し合いの本題から逸脱した,交感機能をもつ自由な談話である。雑談の判別には会話の協調原理と交感機能という二つの指標がある。そのなかで,交感機能は雑談の重要な役割であり,会話進行中の雰囲気調整に不可欠な話題であることが明らかになった。雑談の役割は有効な情報伝達をするよりも,安定的な会話状況を作ることに重点があると言えよう。会話中に雑談をすることは,会話の課題を遂行するのには役立たないが,相手と積極的に共感を形成し,近しい関係を構築することができる。とりわけ,議会のような制度的場面においては,自己開示,話の脱線などのような雑談的な発話を本題に挟むことによって,議会の雰囲気が和み,話し合いを活発に進めることができるとみられる。ただし,雑談には幅広い表現例が含まれているため,実際の用例によっては交感機能が強いものから弱いものまで漸次的に存在するのである。また,形式内容面では,雑談は本題との関連性と聞き手にとっての情報価値の有無と関係することが分かった。雑談の内容が聞き手にとって知らない可能性が高ければ高いほど,有効な雑談となるのである。本研究では,東京都議会のような制度的場面では,肩書や年齢を超えた参加者の間に,雑談はどのような形式,どのような役割をもって出現したのかを示した。
著者
翁 康健
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.197-216, 2022-01-31

本稿は,民俗宗教研究と華僑華人研究の分野に位置付けられ,タイの社会的・宗教的文脈から,タイの華人宗教の動態を把握したうえで,脱共同体社会における民俗宗教のダイナミズムを見出すことをめざす。具体的には,民俗宗教はいかに社会の産業化・都市化に対応できるのかを考察する。そこで,本稿はタイにおける華人宗教の動態を取り上げる。タイにおいては,産業化・都市化への対応として,宗教実践に新しい現象が現れている。その中で,華人系以外のタイ人でも華人宗教施設を訪ねることが多くある。こういった華人宗教は,血縁,地縁に基づく華人社会を越え,タイの都市化・産業化社会に対応していると考えてよいだろう。では,そういった華人宗教は,タイの都市化・産業化に対してどのように対応しているのか。またどのような社会的意味を持っているのか。その問いに対して,本稿は華人系以外のタイ人も普遍的に実践している「ゲイ・ビーチョン」(厄払いの儀),「ギンゼイ(齋)」(ベジタリアン・フェスティバル)という2つの華人宗教の儀礼に焦点を当てた。その結果,都市化・産業化への対応として,ゲイ・ビーチョンは100バーツ(約350円)の冊子を購入することで,簡単に厄払いの儀を行うことが可能となっている。また,齋料理を食べて過ごすギンゼイは健康のためだけのものではなく,個人の修養として取り上げられる。このように,「ゲイ・ビーチョン」と「ギンゼイ」という華人宗教儀礼は,華人のエスニシティ,および血縁,地縁を越えて,消費パッケージ化および,禁欲的な修養によって,産業化・都市化社会における宗教儀礼実践の個人主義化に対応しているとみられる。そして,タイの華人宗教のような脱共同体的な民俗宗教は,共同体に依存していなく,かつ都市生活様式への個人実践に対応できることにより,ホスト社会に広く受け入れられることが可能となると考えられる。
著者
宮﨑 勝正
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.51-71, 2021-03-31

遊びとは,誰もが知っている身近な経験である。遊びは楽しみや歓びをもたらしてくれるだけでなく,私たちの生の一部として重要な役割を担っていると考えられている。しかし,遊びを扱う諸研究においては未だに,遊びがそもそもどのような現象であり,それ以外の活動からいかに区別されるのか,といった本質的な問題に対して十分な説明が与えられていない。遊びの本質を捉えるような説明は,いかなる視点と方法によって可能だろうか。本稿はホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を批判的に検討することからはじめる。ホイジンガによる遊び自体の定義と,それに基づく文化因子としての機能についての説明を概括する。続いて,ホイジンガが遊びと見なしている具体的な文化活動の例をいくつか取り上げ,遊びであるという説明がいかなる論拠に基づいて行なわれているのかを見ていく。そのなかで,ホイジンガの遊戯論における二つの問題点を明らかにする。一つは,遊びを内から見るか外から見るかの二つの視点が混在していることである。もう一つは遊びを遊び自体の特徴から説明するか文化因子としての機能から説明するかの二つの説明方法が錯綜していることである。ホイジンガ批判を踏まえて,遊びの機能を扱う研究と,遊び自体を扱う研究をそれぞれ概観する。まず,遊びに想定された機能を5つに大別して簡単に見渡し,機能を中心問題とする議論では,遊び全般に当てはまる一貫した説明を行なうことが難しいことを示す。次に,遊び自体を扱う議論としてアンリオと西村の遊戯論を挙げ,要点を整理する。遊び自体を扱う議論は,あらゆる形式の遊びに対し包括的な説明を与えうる。しかし,アンリオと西村の遊戯論は遊び自体の本質を十分に説明しきるものではなく,より詳細な分析の余地を残していることを示す。最後に,遊びの本質に迫るための視点と説明方法について考察する。人が遊びを本来的な姿で見出すのは,遊び手として現に遊んでいるときではないか。直の経験としての遊び自体こそ遊戯論の目指すべき対象であるという考えを提示し,遊び研究における遊び手の視点に基づいた遊び自体の分析の必要性を主張する。
著者
清水 颯
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.237-251, 2022-01-31

本稿では,義務づけ(obligatio / Verbindlichkeit)の根拠をめぐる18世紀ドイツ倫理思想を,完全性(perfectio / Vollkommenheit)との関連から考察する。完全性を実現するよう自らを義務づけるという発想を倫理学の原則として採用するのは,18世紀のドイツ倫理思想においては常識的見解だったからである。例えば,当時の講壇哲学を席巻していたヴォルフ学派の倫理学においては,完全性を求めることが倫理学の基本原理となっている。ここでは,三人のヴォルフ学派の思想家を取り上げる。 ヴォルフはライプニッツから多大な影響を受けながら,「多様なものの一致(Zusammenstimmung)」と定義される完全性を倫理学の中心概念へと据えた。完全性へと向かっていくよう努力することが人間には義務づけられており,それは自らの自然本性によって要求されるために,義務づけの根拠は「自然の法則(Gesetz der Natur)」となる。それゆえ,完全性へ努力する義務は「自己自身に対する義務」であると明確に打ち出しているヴォルフは,カントの義務づけ論の始祖とみなすことができるだろう。 その次に取り上げるモーゼス・メンデルスゾーンは,理性によって洞察される完全性を求めることを原理としたヴォルフ的な理性主義的完成主義の枠組みをほとんどそのまま採用している。しかし,理性だけではなかなか行為へと動かされない人間のあり方を鋭く見抜き,感情的側面と蓋然性を積極的に評価する点で,メンデルスゾーンの倫理学はヴォルフの倫理学とは異なっていた。 三人目として,カントが直接的に影響を受けていたバウムガルテンを取り上げ,完全性へと義務づけられるとはどういうことかを『第一実践哲学の原理』に則して紹介する。その際,カントによってバウムガルテンの著作に書き込まれた記述や講義録から,カントのバウムガルテンへの批判点にも注目する。最後に,カント以前の義務づけ論がカントへ流れていった形跡に簡単に触れることで,18世紀ドイツ倫理思想史の一側面が明らかにされる。
著者
白水 大吾
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-16, 2019-12-20

現代美学にとってカントの『判断力批判』が今もって最も重要な参照点の一つである理由は,そこで展開されている美的判断の分析が先鋭的であることによる。本稿では,私たちが美的判断を行うために欠かすことのできない能力である反省的判断力の分析を,『判断力批判』のテキストに基づいて行う。本稿は6節からなる。第1節と第2節ではカントの美的判断の分析について,よく知られている4つの特徴を紹介する。第3節では,『判断力批判』における最も重要な箇所の一つである「有機体論」について,それが本稿で主題的に扱われない理由を述べる。第4節では,反省的判断力を論じるに先立ち,判断力一般について規定する。第5節では,カントが「反省的判断力のアンチノミー」と呼ぶ問題を提示する。このアンチノミーを適切に解釈できるかどうかが,反省的判断力の解釈が妥当であるかどうかの一つの基準となりうる。最後に第6節では,まず反省的判断力がどのような能力であるかということを提示したあとで,反省的判断力のアンチノミーの再解釈を通じてこの理解が適当であることを示す。そして,反省的判断力の理解を得ることによって,美的判断についても一つの妥当な見解を得ることができるということを主張する。
著者
河野 友哉
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-51, 2021-03-31

三善清行が延喜七年に著した『藤原保則伝』は、地方官として備中・備前・出羽・大宰府などで活躍した〝良吏〟藤原保則の事績を記す、漢文体の伝記である。従前の研究史においては、作品の叙述は主として〝良吏〟保則の側から分析されることがほとんどであったが、作中にはその対極にある〝悪吏〟も描かれていることに注目し、その〝悪吏〟を俎上に載せようとするのが本稿である。かかる〝悪吏〟の描写を、先行研究にも拠りつつ具体的に検討してゆくと、わずかな罪や不法行為にまで目を光らせて恐怖政治を行う者や、私利私欲を満たすために苛酷な徴税に走る者など、まさに〝悪吏〟と呼んで然るべき悪政の様子が看取される。前者はその恐怖政治を以てしても何らの功も上げ得ず、儒教的な徳治では当然無いが、律令的な法治とも到底言い難いものであり、後者はその強欲さ・貪欲さという一点において、一〇世紀初頭に新たに立ち現れてきた「受領」に近い存在と言うべきであった。そして、いずれの場合においても、〈国司の個人的な素養や道徳性の如何といった属人性が問われなくなっていった〉という社会変動がその背景に潜んでいるように思われる。かように考えてみると、本稿で取り上げた〝悪吏〟たちは、古代的地方支配の要であった国司の属人性が無効化されていった時代を象徴する存在として描かれており、その点にこそ彼ら〝悪吏〟たちの意義が求め得るのではなかろうか。その上で、作者清行は、漢籍の表現に範を取りつつも単なる断章取義に留まらず、当時の我が国が直面していた〝古代的地方支配の不可能性〟という問題の一端を『保則伝』のテキスト上に具現せしめたのだ、と言うことも決して不可能ではないのである。
著者
翁 康健
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.293-311, 2019-12-20

在日華僑は,日本の「お盆」と似た「普度勝会」という中国民間信仰の宗教儀礼を行っている。普度勝会とは旧暦の7月15 日に行われる,祖先と無縁仏を祭る儀礼である。神戸普度勝会が最初に行われたのは1934 年のことである。それは,かつて神戸の老華僑が日本へと持ち込んだ民間信仰の文化であり,戦争などで中断を余儀なくされたこともあったが,様々な困難を乗り越えながら今日においても守り続けられている。1997 年には神戸市地域無形民族文化財に認定され,現在は福建省出身の老華僑─ 福建同郷会がその運営を担っている。他の地域の出身者たちは,当日の一般参加者として参加するという形で関わっている。 しかし,老華僑たちが年老いてきたこともあり,20 世紀の末から継承者不足の問題が浮き彫りとなり,普度勝会は存続の危機に直面している。その危機を解決したのは1970 年代以降に来日した同じく福建省出身の新華僑による普度勝会への参加と協力である。 それでは,今日の神戸普度勝会はどのように行われているのか。神戸普度勝会の開催内容については,1980,90 年代の調査に基づいた詳しい記録がある(曽,1987;2013)。しかし,すでに約30,40 年が経過していることを踏まえれば,改めて調査を行う価値があるだろう。また,曽の調査は主に普度勝会の儀礼内容そのものについてのものであったが,本稿では今日の儀礼内容を確認したうえで,主に人々がどのように普度勝会に参加し,その活動を行っているのかを確認していく。以上を踏まえたうえで,福建省出身の新華僑はいかに老華僑と接触し,神戸普度勝会の継承に協力しているのかを明らかにしたい。
著者
熊 征
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.157-187, 2019-12-20

本稿は,1972 年4月に山東省臨沂県銀雀山の漢墓から発掘された竹簡『孫子兵法』を取り上げ,その「攻」と「守」に対する考え方と,テキストの変遷に示される後世における解釈の変化について考察する。全体は3つの部分に分けられる。 第1部では,『孫子兵法』全体の攻守観についてまとめる。まず,『孫子兵法』を総括的に見て,その戦争に対する消極的な態度を分析し,戦争論より平和論を説いていることを明らかにする。そして,『孫子兵法』の「攻」と「守」を始めとする軍事の各方面,各段階における万全を追求する万全主義を論じる。最後に,『孫子兵法』全体は防御を重視する思想を説いていることを論じる。 第2部では,『孫子兵法』の攻守観が集中的に表れている形篇を中心に,十一家注本と竹簡本との相違点を比較し,両版本の重大な相違点に基づく攻守観の差異について考察する。主に,竹簡本の「善者」,「非善者」が,十一家注本では,それぞれ「善戦者」,「非善之善者」に作る点を取り上げ,竹簡本と比べて,十一家注本のほうが,「戦」のことをより積極的に説いていることを論述する。また,「攻」と「守」をめぐる改変として,竹簡本の「守則有余攻則不足」が,十一家注本では「守則不足攻則有余」に作る点,竹簡本の「不可勝守可勝攻也」が,十一家注本では「不可勝者守也可勝者攻也」に作る点,また,竹簡本の「昔善守者蔵九地之下勭(動)九天之上」が,十一家注本では「善守者蔵於九地之下善攻者動於九天之上」に作る点についての分析を通して,竹簡本では肯定される守備が,十一家注本では逆に否定的に扱われていることを論じる。これらの相違点の分析を通して,第1部でまとめた『孫子兵法』の攻守観と合わせて,竹簡本のほうが孫武の本意にふさわしいことを論じる。 第3部では,同時に出土した竹簡兵書である『孫臏兵法』と『孫子兵法』の間の継承関係から,『孫臏兵法』の攻守観について考察する。重点的にその威王問篇にある「必攻不守」に対する理解の仕方について分析する。戦争を消極的に見ている点,守備を重視し,万全を求める点において,孫臏が孫武と共通していることを明らかにする。それに基づいて考えれば,『孫臏兵法』威王問篇における「必攻不守」は,『孫子兵法』の「攻而必取(〔者〕),攻其所不守也」を継承している可能性が大きく,「必ず守らざるを攻む」と読むのが適切であることを論じる。
著者
沈 嘉琳
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.53-72, 2023-01-31

本稿は、作品の構造と物語内容の展開の角度から『騎士団長殺し』における歴史的な要素を検討するものである。村上春樹『騎士団長殺し』において、アンシュルス(独墺併合)と南京大虐殺の二つの歴史的事件は、雨田具彦が制作した絵「騎士団長殺し」の隠れた背景として描かれる。作品の歴史的な要素に関する従来の議論の多くは、作品内容の特定の部分を取り上げている。それに対し、本稿はアダプテーションの観点から『騎士団長殺し』を捉え、作品全体の構造と物語内容の展開に着目し、作品の歴史的な要素の意味を明らかにするのを目的とする。絵「騎士団長殺し」の導きによって、主人公「私」は四つの絵画(「免色の肖像画」、「白いスバル・フォレスターの男」、「秋川まりえの肖像画」、「雑木林の中の穴」)を創作した。筆者は作品のクライマックスである「私」の騎士団長殺しの行為を、絵「騎士団長殺し」を三次元へと翻案する行為として解読した。そのような「私」の翻案行為の内実として、この作品には重層的な翻案が認められる。「私」による絵「騎士団長殺し」の翻案は、ドン・ファンの伝説を元にしたモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の創作と共通する部分がある。また、「私」の翻案行為は、『ドン・ジョバンニ』から絵「騎士団長殺し」を創作する過程に介在した画家の歴史経験からも影響を受ける。重層的な翻案から影響を受ける一方、主人公「私」の個人的な要素も翻案行為に導入される。そのような重層的な翻案は作品内部で完結するのではなく、作品の外部まで延長され、本作品『騎士団長殺し』を受容する読者もまた重層的な翻案の一翼を担うのである。さらに、作品で重要な位置を占める上田秋成の短編小説「二世の縁」と本作品『騎士団長殺し』から、倫理制度に囚われず、実生活に着目するという同一の主題を捉えることができる。この点は村上春樹が主張する自分なりの物語を作る能力とも響き合う。作品『騎士団長殺し』からは構造と内容の両面において、個人とシステム、正当性が付与される行為、倫理制度の制限などに関する問題を看取でき、読者への「物語作り」のメッセージも作品から発信されているのである。
著者
吉村 佳樹
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.15-32, 2021-03-31

T・M・スキャンロンの契約主義は,非功利主義的な体系的理論として大きな影響力を持ち続けている。彼の理論は,元々,道徳の本性を説明することを目的としたある種のメタ倫理学的理論として提示された。彼は,そのような理論としての自身の理論の主要な目的を①道徳の主題と②道徳的動機づけに適切な説明を与えることとしていた。特に後者に関しては,前者の説明をする際の基礎となっていたり,スキャンロン自身が契約主義を受け入れる大きな理由となっているなど,大きな重要性を持つものである。しかし,この道徳的動機づけの契約主義的説明に対しては幾つかの批判が投げかけられている。また,その批判の中にはスキャンロンの主張が私たちの日常的な感覚に反すること含意しているという批判もある。スキャンロンは自身の理論の妥当性の一つを私たちの感覚との整合性のようなものに求めているため,仮にこうした批判が妥当なものであれば,契約主義にとって重大な問題となりうる。本稿では,そうした道徳的動機づけの契約主義的な説明に投げかけられている批判に応答していく。まず,スキャンロンが道徳的動機づけと呼ぶものとその契約主義的説明を明確にすることで,投げかけられている批判がスキャンロンの議論のどのような部分に対してのものなのかを明確にする。その後,道徳的動機づけの議論一般に投げかけられている批判と派生的な議論に投げかけられている批判とを検討していく。その検討においては,批判の多くはスキャンロンの議論に対する誤解に基づくものであることを示すとともに先に述べた私たちの感覚に反した含意を持つとされる部分はそもそも契約主義にとって中核的な要素ではないため,仮に本稿での応答が失敗していたとしても契約主義にとって批判者達が考えている程重要な問題ではないことを示す。
著者
三浦 光彦
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.179-195, 2022-01-31

ロベール・ブレッソンは,自身の映画に素人俳優のみを起用し,一切の感情移入を廃した独特な演技指導を行ったことで知られている。ブレッソンは自身の演技への理念を『シネマトグラフ覚書』と題される書物に纏めている。本稿では,ブレッソンの演技論を,ジャンセニスムとシュルレアリスムという宗教的,美学的なコンテクストから考究することによって,ブレッソンの演技論において作動しているメカニズムを解明することを目標とする。まず,第一節では,ブレッソンとジャンセニスム,及び,シュルレアリスムの関係を論じた先行研究を概観していく。第二節では,映画研究者レイモン・ベルールが『映画の身体:催眠,情動,動物性』と題された書物の中で論じた,催眠と映画の歴史的な関わり合いに関する議論を参照しつつ,ジャンセニスムとシュルレアリスムにおける「痙攣」という概念を追っていく。続く,第三節では,ベルールが引用する神経学者ダニエル・スターンによる「生気情動」という概念と,それを軸にジャン・ルノワールの映画における演技を論じた角井誠の研究を参照しつつ,この「痙攣」というものがどのように生み出されるのかを考究していく。そして,第四節では,「痙攣」に纏わる膨大な歴史がどのようにブレッソンの演技論へと集約されていき,それがブレッソンの映画においてどのようなメカニズムで作動しているのかを確認する。第五節では,第四節まで論じてきたものを土台としながら,男性のモデルと女性のモデルとでは,演技表現に差異が見られることを確認したうえで,幾つかの作品に即して,そのような差異が何故生じるのかを探っていく。ブレッソンは長らく作家主義的な映画監督,つまり,作品に対して強いコントロールを有する作家だと考えられてきたが,本稿では,モデルの身体へと焦点を当てることによって,そこに刻印された作家性の揺らぎを読み取っていく。
著者
李 娜
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.21-34, 2022-01-31

従来では,可能の否定文について禁止や不許可など用法があることは指摘されてきた。本稿は,このような現象に着目し,さらに動作主を聞き手のみならず,話し手や第三者を含め,可能本来の意味を踏まえ,可能の否定文を多角的に議論したものである。言語行為論では,可能形式が表す許可などは間接発話行為として扱われることがある。本稿では,間接発話行為に関わる適切性条件という側面ではなく,共通基盤という概念を援用し,動的な観点から会話参加者が否定の可能文を使用することでどのような共通基盤化のプロセスを経て,どんな共同行為を達成できるかを論じてきた。共通基盤が形成された際に状況文脈,形式文脈,知識文脈という3種類の文脈の役割を考慮しながら考察を行った。考察した結果,従来で指摘された禁止や不許可以外に,大きく相手の提案に対する却下,依頼または発話者の情緒表出という多義な解釈があることがわかった。