著者
吉村 文成
出版者
龍谷大学
雑誌
国際文化研究 (ISSN:13431404)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.43-58, 2007

同源の一神教として知られるユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ利息を禁止してきた。イスラム教はいまも建前としては利息を禁止、ユダヤ教は「同胞」に限って禁止し、また、キリスト教は中世末期の宗教改革で解禁した。中世ヨーロッパ社会にあってキリスト教聖職者らは利息禁止を強く主張したが、その主張の背後に、ユダヤ人を差別しながらも、その一方で特権的に「異教徒(キリスト教徒)」相手の金貸し営業権を与え、そのことで彼らを操り、その収益の一部を巻き上げる、いわば体制の維持装置という側面があったとみることができる。現代金融論では、利息とは、「いまのおカネ」と「未来のおカネ」の交換、いわばおカネの"異時点間交換"にともなう差額の補填である。こうした信用システムから必然的に生じる利潤の追求こそが、現代資本主義の根幹であろう。しかし、この仕組みによって生まれたのは、「いま」に取り込まれた「未来のおカネ」を実現するため、休むことなく馬車馬のように走り続け、経済の拡大・成長を追求することを運命づけられた社会である。いつまで持続できるのか。おカネはほんらい、暮らしに役立つモノやサービスと交換したときにその価値を発揮する。その点で、モノやサービスという効用の代理物であり、効用を数値化したシンボル(象徴)といえる。効用は有限だが、シンボルは無限である。逆説的だが、古(いにしえ)の賢人や諸宗教が利息を禁止したのは、シンボルが効用を離れて暴走し、「未来」という時間を侵食することへの畏れがあったのではないか。
著者
吉村 文成
出版者
龍谷大学
雑誌
国際文化研究 (ISSN:13431404)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.103-121, 2008

情報化社会の進展とは、一面、情報の金銭的価値が増大し、経済全体が情報化してゆくことであろう。そんな中でおカネの重要性が増大していることは、電子マネー、携帯財布、地域通貨、マイレージなど新しいおカネないしおカネ類似物が次々に登場し、さらには、いわゆるマネー経済が世界規模で急速に拡大している現実が示す通りである。しかしながら、従来の近代経済学では、おカネは「交換の仲介物であって実物経済ではない」と位置づけられ、おカネについての考察は等閑視されてきているのが現実である。おカネは、社会的な物質循環の中枢に位置するという点で、情報をつなぐ「ことば」とともに、わたしたちの社会をつなぐ紐帯としての役割を果たしている。情報化する経済に対応するためには、おカネをその本質から捉え直すことが必要であろう。情報伝達の手段としてメディアということばが充てられるが、メディアとは、現実には、それぞれの情報を代理するさまざまな信号が乗った「乗り物」である。そして、そうした信号のなかでも圧倒的な量を占め、かつ根源的な位置にあるのは、音声信号ないしは画像信号のかたちをとった「ことば」である。本論では、それと同様に、おカネとは、物財や労働の相対的な価値を代理する「おカネ信号」が乗った、多様な「乗り物」の総称であると想定する。ここで提起したおカネ信号は、情報の分野における「ことば」に相当し、おカネはメディアに相当する。おカネ信号を想定すると、経済の領域におけるおカネの機能が、情報の領域におけることばの機能に極似していることが分かる。そのことが示すのは、情報か物財かを問わず、人々のつながりを作り出す仕組みが、基本的に、同一の原理に基づいているということである。前半でおカネやおカネ信号について考察し、後半で、そこで獲得した視点をもとに、おカネとことばの比較を試みる。