著者
和田 杏実
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

第一年度目はまず、これまでの研究成果を整理し、追加・修正を行なうことで、本研究テーマの基礎を固めることを目標とした。本研究テーマの基礎とは、19世紀末から第一次世界大戦までのイギリスが、帝国防衛という観点から戦時国際法形成にどのような態度で取り組んだのかを検証することであり、この作業によって、同時代の他国の態度との比較および戦間期イギリスの態度との比較検証が容易になると考える。そこで、特別研究員奨励費を使用して2008年8月15日から21日までロンドンに滞在し、ロンドン国立公文書館において、イギリス外交文書の収集を行なった。その成果を「20世紀初頭イギリスにおける海戦法政策:軍事的観点からみた国際規範形成」として論文形式でまとめた。従来の研究では実際の政策担当者たち以外の言説、つまり傍系の閣僚の理想主義的見解や野党の批判を主に参照していたため、イギリスの海戦法政策は"変則的"あるいは"不合理"と評価されてきたことを指摘する。そこで、実際にはどのような権利と軍事戦略が重視されて海戦法政策が立案されていったのかを、政策形成に直接携わった閣僚と将校の見解を分析対象として再構築することで、そうした従来の評価の修正を試みた。その結果、海軍省と外務省の大臣や国際会議に出席した実務家は、第一回ハーク会議当初から一貫して、イギリスの交戦国の権利を主張し、海上における通商戦争に勝利できるような軍事戦略と海戦法政策を構想していたことを明らかにした。重要な主張を他国に認めさせることができた1909年ロンドン宣言はイギリス海軍省によれば「決定的勝利」であったが、イギリスが第一次大戦中に宣言を放棄したことは、"不合理"ではなく当然の帰結であった。というのも、イギリスの基本的な態度は帝国防衛のためには自国の規則が海戦に関する戦時国際法より"優れて"いるというものであったからだ。さらに、ハーグ会議や戦時国際法に関する研究は国内外で積み重ねられてきたが、戦争違法化の第一歩という今日的意義で捉えられることが多く、その"善きイメージ"が実態と乖離しているように思われる。しかしながら、戦争が政治紛争を解決する最終手段として合法であった当時においては、軍事行動を拘束するいかなる措置も認められるべきではないという見解が主流であり、各国の軍事行動に影響を及ぼす一連の国際法規範形成から自ら手を引くことが結局は国益を損なうことを意味した。二つのハーグ会議とロンドン会議は、軍事力を規定する規範形成における各国の攻防が繰り広げられた舞台であったと言えよう。以上の研究成果を、2009年2月付けで、東京大学大学院総合文化研究科の国際関係論研究会が発行する『国際関係論研究』に投稿した。現在、当該論文は査読中である。