著者
土屋 博映
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.1-8, 2010-03-15

剣豪としてあまりにも有名な宮本武蔵の実際の人物像については、本書に記されていることくらいしか知りえない。宮本武蔵がその名前を天下に知らしめたのは、吉川英治の『宮本武蔵』からである。大衆文学作品として、出色の出来栄えである。それはそれでよい。大いに評価に値する。しかし、実際の武蔵はどうだったかという、歴史的・実証的な立場から言えば、世間を惑わせたとも言えなくはない。本稿では、『五輪書』のどこがどのように、日本人の精神に影響を与えたのか、あるいはそうでないのか、それを明確にすることを目標として、『五輪書』に対峙してみたい。本稿はその手始めとして、『五輪書』の構成を記述することを主とする。
著者
土屋 博映
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.41-51, 2009-09-15

『方丈記』は随筆文学として知られているが、その評価は以外に低い。その理由は、分量の少なさ、次に内容が主観的で描写された世界が狭いと把握されているからと言えそうだ。しかし、分量の少なさが作品の価値を決めるものではなく、また主観的であるとしても、それは、かえって激動の時代、中世の知識人の苦悩を如実に示すものとして、そこに価値を見出すことができるはずである。 そこで、本稿では、『方丈記』全体の構成について明らかにすることを第一の目標とし、その結果、長明の主張を導きだすことを、さらなる目標とし、さらに、できれば『方丈記』の再評価を最終目標としたいと考えた。『方丈記』(全六章・三七段)の構成は「1、序文(世は無常)→2、不思議(世の無常の具体例)→3、人生の苦悩(一般論)→4、自己の苦悩(個別論)→5、出家1(大原)→6、出家2(日野山・方丈の家)→7、方丈の住処(内部・周辺・近辺・遠地・独夜)→8、独居の気楽さ(都との比較)→9、自己の生き方の反省→10、後記」と、10項目に分けられる。構成上のポイントは、2の「不思議」から、3、4の「人生・自己の苦悩」へと展開する部分である。展開はやや強引だが、見方を変えれば、「不思議」から、直接、「方丈の住処の安寧さ」を述べるよりも、彼の、人生における鬱々たる心の暗闇が、3の「人生の苦悩(一般論)」と4の「自己の苦悩(個別論)」により、より深化されているともいえる。5の「出家1」は世の中の「不思議(天変地異)」だけで成しえたものではないということの強い内面の噴出と見られよう。6の「出家2」により、やっと安住の家「方丈の住処」を手に入れたことを述べ、7で「方丈の住処」の内部、外部、周辺から近辺さらに遠地までをとことん賛美する。 鴨長明が『方丈記』で主張したかった点は、7の「三二」(「おほかた」で始まる段)と[三三](「それ」で始まる段)で、今の、「方丈」の清貧の住処をよしとし、独居の生活をよしとする、これが一つの主張。そして、([三三])(「おほかた」で始まる段)で、今の純粋な心をのべ、「三四」(「それ」で始まる段)で、精神の満足こそ最善であると強調する、これが最終的な主張であると推定した。
著者
土屋 博映
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.19-34, 2010-09-15

本稿は「04紀要」掲載論文、「09紀要」掲載論文をふまえ、第一部末尾部分の章段と第二部冒頭部分の章段を吟味することにより、第一部冒頭部と第二部末尾部の境界を明確にし、あわせて著者兼好の思考の変遷を明らかにしていこうとするものである。 09紀要では、第三一段から第三七段を一部から二部への「つなぎの巻」ととらえ、第三八段を、「復活」の謎を解く段だと考えたのである。 本稿は「一、はじめに 二、最近の『徒然草』研究から 三、従来の『徒然草』観 四、本分の考察 五、第三八段の再検討 六、一部の関連する段 七、『方丈記』との関連 八、第三八段の過激性 九、結論」の八章からなる。一番重視したのが第三八段であり、本段に、以前の段はどのように流れ、関連しているのかということと、本段以降どのように流れ、展開していくかという点に重きをおいた。その結果、一部から二部への、彼の執筆態度(姿勢)が、書物(漢籍)を友としているうちに、老荘思想に大きな影響を受け、老荘思想を根幹に、成長・発展したとう事実を物語っていると推定された。 二部は、第三一段から書き始められ、第三七段まではいわゆる「つなぎの段」と考える。 第三一段からは、基本的に、抽象的な、無名の人間の意見をとりあげ、「をかし」「よし」と肯定している。そして、それこそが、本作品の意義だと確認し、第三八段を力強く記すに至った。その後の兼好の価値観は、第三九段の法然上人の教え、第四○段の因幡国の娘の話、第四一段の競馬にまつわる話、第四二段の恐ろしい病気にかかった行雅僧都の話などへとバラエテイに富んだ内容を描き出す。これらはいずれも新しい発見である。兼好の既得の知識・価値観からは想像もつかない事実の発見に目をむけたと言えよう。 とにかく第三八段は、本作品にとって、もっとも重要な段の一つとして位置づけておかなくてはいけないというのが本稿の結論である。