著者
藤崎 康彦
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.39-55, 2003-03-15

男性,女性の他に「第三のジェンダー」を認識する文化があるという主張が,文化人類学的研究の一部でなされることがある。本稿はその理論的意味を考えることを目的として,具体的な民族誌のレベルで検討を行い,いかなる条件で,またどのような理論的意味合いで「第三のジェンダー」が可能かを考察する。具体的には男でもない,女でもないというカテゴリーがある点で共通な社会である,インドのヒジュラとアメリカ先住民のベルダーシュ,特にナバホ族のそれを検討した。ヒジュラの場合には呪術-宗教的機能が明瞭であり,かつはっきりとしたイニシエーションがある。他と区別される地位が与えられる。これに対してナバホのベルダーシュの場合はより日常的な存在であり,特別に他と区別されるような地位が与えられるようには見えない。しかし全く聖なる性質が認識されていないわけでもない。地位自体がじつは暖昧である。暫定的なまとめとして,むしろ仮説的ではあるが,西欧的な「二元的対立」に基づくジェンダー観を有する文化では,例えば性的に暖味な「間性」は通常のジェンダーカテゴリーには納まりにくく,「聖なる」存在と位置付けられるのではないか。それに対してそのような二元的対立が緩やかで,異なる性/ジェンダー観を持つ社会の場合は,「第三のジェンダー」カテゴリーも認識する可能性があるのではないか,と考える。
著者
鈴木 隆芳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.9-28, 2010-03-15

「言葉とは何か」と問われて、返答に窮して黙りこくってしまう人はそういない。この種の問題については、だれもが自分流の切り口を持っているものだ。だがそんな時、突然、「あなたが今話しているのは、それは言葉そのもののことではありませんね。」と言われたらどうだろう。はっとして振り返ると、自分の言っていたことがなにも言葉に限った話しではないことに気づく。言葉と同じ用途、性質、役割をもったものなど他にいくらでもあるものだと思い至る。 言語学が得意としてきたのは実はこうした譬え話である。「言葉のように見えて、ほんとうは言葉でないもの」は「言葉そのもの」よりもよっぽど扱うに易しいからである。 ここでは、こうした「言葉のように見えるもの」が、言語学にもたらした功罪を考える。なぜなら、それは言語学にとって毒にも薬にもなってきたからである。
著者
福田 博同
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.53, pp.A49-A75, 2018-03

建武頃(1334-35)山城で活躍した〔初代信国〕から応永頃活躍した三代信国までの刀匠〔山城信国〕については、『跡見学園女子大学文学部紀要』No.52,2017,p.79-107 1)(以下、「前号」という)で推敲した。本稿では、永享十二年(1440)豊前宇佐へ移住した四代信国からハ代信国までの〔宇佐信国〕や、慶長七年(1602)筑前へ移住した九代信国から明治までの〔筑前信国〕(総称し〔筑紫信国〕という)を中心に、より史実に近い系譜を推敲する。
著者
杉本 昌裕
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.A27-A42, 2010-03-15

本稿は、ここ10 数年の日本のアニメーション、アート、そして美術文化について論述したものである。この間筆者は、美術を守り育てる場、つくる場、広める場を経験し、それぞれの立場から日本の美術について考察でき、客観的で実証的な研究を進められた。日本の美術における今後の在り方を明らかにし、美術教育、美術文化振興、人材育成等に資することがねらいである。
著者
鈴木 隆芳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.67-86, 2009-03-15

ソシュールが晩年アナグラム研究と呼ばれる思索に耽ったことは良く知られている。また、彼がそこでやっていたことについても、多くが、それ以前のソシュールとはまったく別人の営為を見ることでほぼ一致している。本稿は、それとは反対のことを試みようと思う。つまり、ソシュールのアナグラム研究を、その挫折までも含めて、彼の思索の持続の中に置いてみようと思う。
著者
要 真理子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.58, pp.A139-A152, 2023-03

This article focuses on Vorticism --the only avant-garde art movement in Britain in the first half of the twentieth century-- and, more specifically on its central figure, Wyndham Lewis, dealing with the ideology found in texts and activities of Vorticists. The fact that the latter-mentioned group, which started in 1914 and ended the following year, envisaged an ideal urban plan based on a philosophy of vortex (the origin of this group’s name) is made clear in the avant-garde magazine Blast (1914, 1915), as well as and in the book the Caliph’s Design(1919), written by Lewis after the demise of the group’s activities. Unlike the avant-garde art movements of the 1920s in other Western European countries, there was no expansion from contemporary art to extensive urban planning in Britain. It is therefore worth noting the ambitious, if abortive, attempts at urban renewal that Vorticism left behind in its writings. In those writings, we can see that, for Vorticists, the city is always shaped by some force indicated by “vortex”. This vortical force is typically found in the designs in drawings and magazines created by the hands of Vorticists, but it was also a model for this urban restructuring. In the current article, we do not read these designs visually, but reconsider their design ideology - -which is common across genres such as painting, literature and architecture-- from the perspective of urban planning, specifically from Lewis’s texts.
著者
森 まり子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.58, pp.71-105, 2023-03

本稿はウッドロウ・ウィルソンと18~19世紀英米の政治思想との関連を考察するものである。以下要約に代えて目次を掲げる。はじめに一 本稿の問題意識とウィルソンの青年期の思考の概観(一)ウィルソンの知的経歴 ―概略(二)ダヴィドソン・カレッジとプリンストン・カレッジ時代に吸収した思想(三) ギリシア古典に影響されたウィルソンの「民主主義」像とオスマン帝国観 ―概略二 民主主義と専制に対するウィルソンの考え方 ―フランス革命観三 古代ギリシアの勉強がウィルソンに与えた影響 ―民主主義と専制への考え方(一)ヘロドトスの『歴史』 ①民主制の特色 ②自由・平等・民主制の価値と自由を守る戦い ③ヨーロッパとアジアの二分法(二)ウィリアム・スミスの『ギリシア史』 ①古代ギリシアの民主主義と愛国主義(スミス執筆部分) ② コンスタンティノープル陥落、オスマン帝国治下のギリシア、ギリシア独立戦争(フェルトン執筆部分) (ⅰ)コンスタンティノープルの陥落 (ⅱ)オスマン帝国治下のギリシア (ⅲ)ギリシア独立戦争四 ウィルソンとオスマン帝国 ―東方問題とグラッドストンの人権外交をめぐって(一)ウィルソンのグラッドストンへの傾倒(二)グラッドストン「ブルガリアの恐怖と東方問題」の概要終わりに
著者
今泉 智子 宮崎 圭子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.A75-A91, 2009-03-15

本研究では、近年の子どもたちの遊びの形態の変化を受け、(1)テレビゲームでもゲームソフトの内容によって、「遊び能力」、「社会的スキル」、「コーピング」発達に何らかの有益な影響があるのではないか、(2)ひとり遊びにおいて、「社会的スキル」、「コーピング」発達に何らかの有益な影響があるのではないか、を検討することを目的とした。小学4 ,5 ,6 年生を対象に調査研究を行った。まずひとり遊びに関する質問紙を作成し、主因子法、プロマックス回転による因子分析を行い、I.『主人公への共感性』、II.『ひとり遊びのコントロール能力』、III.『ひとり遊びへの新奇性追求』、IV.『ひとり遊びによるポジティブ効果』、V.『ひとり遊びによる非影響力』の5 因子を抽出し、ひとり遊び能力尺度を作成した。テレビゲームのタイプ別に分散分析を行い、「共感タイプ」には子どもたちの発達に有益となる特性があることが示唆された。また、遊び能力と社会的スキル、コーピングの因果関係の検討から、「社会的スキル」と「コーピング」の積極的コーピングには、ひとり遊び能力が有益な効果をもたらすということが明らかとなった。
著者
神山 伸弘
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A11-A42, 2010-09

ヘーゲルは、1822/23年冬学期の「世界史哲学」講義において〈インドの天文学〉に関して詳細な言及をしている。しかしながら、ガンス版ないしカール・ヘーゲル版の『歴史哲学』では、それが明確に跡づけられず、かえって〈インドの天文学〉のいかがわしさのみが伝わる格好になっている。しかし、〈インドの天文学〉を詳細に伝える「世界史の哲学」講義のイルティング版にしても、集積テキストの編纂という方法論が禍して、ヘーゲルが〈インドの天文学〉をそれなりに評価していた文脈を読み取ることが難しいものとなっている。 本稿では、イルティング版とグリースハイム・ノートとを対比するなかでイルティング版の問題点を指摘しながら、さらに〈インドの天文学〉を理解するために必要な知見を確認する。そして、そのことを通じて、ヘーゲルが「世界史哲学」を講義するさい、経験的知識を〈情報知〉として可能なかぎり収集している姿を浮き彫りにしていく。
著者
村田 宏
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.42, pp.19-37, 2009-03

本稿は、一九二〇年代のパリで「画家」となったアメリカ人ジェラルド・マーフィー(一八八八―一九六四)に焦点を合わせ、その芸術的特質について「移動」と「パリのアメリカニスム」の観点から再検討するものである。\n 絵画の門外漢マーフィーが、一九二〇年代のパリの美的動向、具体的には摩天楼とジャズへの憧憬に彩られた「アメリカニスム」に大きな意義と役割を担う画家へと変貌してゆく経緯とその史的背景について、筆者が決定的意義をもつと考える問題に即しながら検討を加える。端的には、1「マーフィーとナターリア・ゴンチャローヴァ」2「マーフィーとパブロ・ピカソ」3「マーフィーとフェルナン・レジェ」という三つのトピックをとおして、考察が進められることになる。\n 筆者は、さしあたって議論の端緒を、画家が回想で語る「モンパルナスの仮装舞踏会」や「バレエの初演」に求めることとした。これら二つのイベントがいかなる内容のものであったか、さしあたって不明であるが、今日に伝わる断片的な事実や資料のいくつかをつきあわせるならば、新来のアメリカ人マーフィーが身を置いた時代と場所の特性を測定することが可能となるからである。「仮装舞踏会」「バレエ」は、いずれもパリに到来した多くの外国人芸術家がいくつもの場面で「主役」を演じるようになった一九二〇年代特有の現象であり、より限定的には、絵画の門外漢マーフィーが画家として世にあらわれるに際し、どのような啓示をいかなる人々から受けていたか間接的に示唆する挿話となっているといえよう。\n 暫定的に得られた結論を記せばつぎのようになる。すなわち、絵画の初心者マーフィーが、パリ在住のロシアの芸術家ナターリア・ゴンチャローヴァを最初の芸術上の師とするという経路を辿りながら、パリの前衛芸術家のサークルへとその交友の輪を広げていったということであり、その交渉はパブロ・ピカソ、フェルナン・レジェに及ぶということである。本号の考察は、第一章「マーフィーとナターリア・ゴンチャローヴァ」と、第二章「マーフィーとパブロ・ピカソ」第一節までとし、以下は次号に掲載を予定している。