著者
土屋 巌
出版者
The Japanese Society of Snow and Ice
雑誌
雪氷 (ISSN:03731006)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.319-329, 2001-05-15 (Released:2010-02-05)
参考文献数
18

鳥海山(2236m, N39°06', E140°03')南斜面に散在する吹きだまり型の万年雪(多年性残雪)のなかで,「心字雪」はその字画のように数か所に分かれている.2画目「大雪路」下部の標高約1600mにある「心字雪(S5)」は長年月にわたって消失したことがないが,その雪氷現象についての観察結果を,周辺の他の万年雪の場合と比較検討した.「心字雪(S5)」は「氷河の国際分類」に基づいて小氷河に分類していたが(土屋,1974),1972~2000年期間に1996年が最大で1998年が最小であったなどの規模の年々変動,基盤地形と涵養機構との関連,形態的特色等を説明した.「心字雪(S5)」が最小規模のときに観察できた基盤地形は,ごく小型ながら典型的圏谷地形であることを説明し,氷体が13年以上かけて圏谷底まで運んだ一つの巨礫の履歴を示す写真記録等に基づいて関連現象を考察した.
著者
土屋 巌
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.142-153, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
3 3

世界氷河台帳作成計画のためのIASH (国際水文科学協議会)の分類 (UNESCO/IASH, 1970) とMÜLLERほか (1977) によるその改訂版を参照して,筆者はさきになだれを含まずに,異常に大量の降雪と吹きだまり雪とによって形成される亜高山帯のニッチ氷河を,山岳氷河の一型式として提案し,“鳥海山型氷河”と名付けた(土屋, 1978 a, 1978 b)。 1972年-1981年の問,この型の氷河のひとつで“貝形小氷河”と命名したものについて,毎年野外調査を実施し,その特色を解明した。 貝形小氷河は,いわゆる気候的雪線よりも2,000mにど低い,海抜約1,400m高度に形成されるが,拡大期には約0.04km2の大きさになり,また2~3年のうちにごく小さな氷体に縮小することがある。この氷河の存在場所の積雪深算定値の最大は45m以上であった。消耗量が大きく,暖かい大雨の際には毎時1。4cmの厚さ減少が観測された。氷河氷の形成は非常に早く,この氷河上の残雪の密度は,最初の消耗季節の終り頃までのわずかな期間に,ほとんど氷河氷の段階にまで増加する。 貝形小氷河の流動現象は一定でなく,蓄積年後の消耗年である1975年や1979年の場合にはかなり早い流動を示した。日本の他の地域に見られるいくつかの多年性残雪(氷体を内在する)では,さらに小規模で貝形小氷河と同様のものもあるが,明白な流動現象はまだ報告されていない。 ニュージーランドのWhakapapanui氷河は,貝形小氷河とほぼ同じ規模の小さな氷河であるが,両者の比較により,気候的雪線のはるか下方で形成され,降雪季節の卓越風が偏西風であり,風下斜面に存在して低緯度に面し,主滴養源は吹きだまり雪であって,氷河質量の年々変動が大きいなどの共通の性質のあることがわかった。
著者
土屋 巌
出版者
The Japanese Society of Snow and Ice
雑誌
雪氷 (ISSN:03731006)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.178-187, 1976-12-30 (Released:2009-09-04)
参考文献数
29
被引用文献数
1 2

1973, 74年の寒候期に, 東北地方では各地で記録的な豪雪となったが, 日本海に面した山地の極端に大量の積雪現象のあったことが, 1974年4月6日に実施した積雪の航空写真測量によって認められた.飯豊山の北股岳東斜面と御西岳南斜面, 月山南東斜面および鳥海山南斜面について作成した1万分の1積雪深図の中には, 径1km円内の平均が17mになる例もあり, また従来越年性残雪の見られた場所では30mを超え, 一部に50mに達する場合のあることがわかった.40°N付近の東北山地の南東斜面で日当りの良い場所の高度1,400~1,800mでは, 残雪越年臨界量は実測, その他の方法でほぼ30mであると認定できたが, 今回の豪雪は多年性の雪氷の原因となり, 小規模氷河現象発現のもととなった. たとえば, 鳥海山南斜面の “貝形小氷河” は, 45mを超す雪積深を示し, 1974年10月には最深部20m以上で越年し, 1975年夏秋の間に, 2夏継続して残った雪氷は, 大部分氷化して流動現象を発現し, 小型の山岳氷河としての性格を示した.