著者
坂口 貴弘
出版者
記録管理学会
雑誌
レコード・マネジメント : 記録管理学会誌 (ISSN:09154787)
巻号頁・発行日
no.62, pp.3-22, 2012-05-18

1934年の米国国立公文書館設立から1950年代までの米国連邦政府における記録管理領域の拡張と変容の過程について、中心人物の一人エメット・リーヒーの活動を手がかりに分析する。国立公文書館は当初、急増する公文書の処分を促進すべく、将来生み出される文書をも対象とした処分計画の開発を支援した。大量の文書を低コストで保管・処分するための文書センターの設置もその動きと連動していた。その成果をもとに、1948年の第一次フーバー委員会の勧告は行政コスト削減の手段としての記録管理の有用性を主張する。さらに第二次委員会は文書の作成量自体の制御を強調した。この時期の記録管理における重点は、アーカイブズの保存から文書の作成へとライフサイクルを遡上するように推移し、今日の記録管理領域が成立するに至る。それは、保存すべき公文書の計画的な評価選別・移管と、各機関の文書保管コスト軽減の両立を目指したリーヒーらの提言の具現化でもあった。