著者
坂本 遼太 前多 裕介 宮﨑 牧人
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.76, no.9, pp.595-600, 2021-09-05 (Released:2021-09-05)
参考文献数
15

生命現象において,対称性とその破れは生命機能の制御に重要な役割を担う.鳥の翼は左右対称だが,ヒラメやカレイは左右非対称という特有の形態を示すことで知られる.よりミクロなレベルでは,球形の細胞は同じ大きさの二つの細胞に対称分裂を行うが,発生過程では非対称な分裂を行うことで,腹や背,頭や足などの体軸形成が行われる.このように細胞は,対称性とその破れをうまく活用している.特に,細胞内における核配置の対称性に注目すると,哺乳類の卵母細胞(卵子の基になる細胞)では,球形の細胞内で細胞核が中心または端(辺縁)のいずれかに配置されている.配置対称性の制御に関わる分子系は,力生成を担うモータータンパク質のミオシン分子と,その力を伝える網目状のアクチン線維から成る「アクトミオシン細胞骨格」である.アクトミオシンは化学エネルギーを消費して収縮力を発生する非平衡状態にあり,「アクティブ・ゲル」とよばれる.アクトミオシンという一つの分子セットを用いて,細胞核を中心もしくは端という異なる配置に選り分ける物理的メカニズムとは何であろうか?細胞内では数万種ものタンパク質がひしめき合い,分子活性が時空間的に制御された複雑なシステムである.この生きた細胞の複雑さが,細胞核配置の力学的な理解の妨げになっていた.そこで我々は,細胞から細胞核配置に必要と考えられる分子群を取り出すことで単純化した,人工細胞を開発した.人工細胞は,細胞サイズや界面の物理的性質の制御を可能にし,細胞核配置のメカニズムの理解に適している.本研究では,アクトミオシンを含む細胞抽出液を油の中に分散することで,円柱形の油中液滴(本研究の人工細胞)をつくり,この液滴の内部でのアクトミオシンの収縮現象を解析した.液滴内ではアクトミオシンが収縮力で凝集した球形のクラスター構造が形成され,大きい液滴ではクラスターが中心に位置し,小さい液滴ではクラスターが端に位置する,「配置対称性の破れ」を見出した.このクラスターを細胞核のモデルと見立て,配置現象のメカニズムを探求した.生きた細胞では,アクトミオシンは細胞膜直下では殻のような頑強な裏打ち構造をつくる一方,細胞内では網目状のネットワークを形成している.我々の人工細胞においても同様に,液滴界面におけるアクチン線維の重合と,液滴内部でのアクチン線維ネットワークが形成された.このとき,液滴界面で形成されたアクトミオシンの波が中心へ向けて収縮し,クラスターが中心へ運ばれた.他方,液滴内部ではクラスターと液滴界面を繋ぐブリッジ状のアクチン線維が形成され,クラスターが端に運ばれた.このことから,対称性を維持しようとするアクトミオシン波と,対称性を破ろうとするアクチン線維のブリッジが競合し,綱引きのようなバランスで対称性が決まると考えられる.配置現象に物理的理解を与えるため,アクトミオシンの収縮を記述するアクティブ・ゲル理論と,アクチン線維の確率的な結合を記述するパーコレーション理論を組み合わせた「綱引きモデル」を構築した.その結果,アクトミオシン波の発生周期と,アクチン線維のブリッジ形成に要する時間,これらの特徴的時間の大小関係でクラスターの配置対称性が決まることを説明でき,対称性を破る液滴の特徴サイズも定量的に予言された.以上の結果は,細胞核のような構造物を中心または端に配置するメカニズムとして,細胞内の対称性の制御原理に力学的な理解を与えるものである.