著者
堀井 一摩
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.14, pp.225-240, 2016

本稿は、泉鏡花の「高野聖」における不気味な他者たちの表象が日清日露戦間期の日本社会においてどのような意味を担っていたのかという問題を考察する。まず「高野聖」に書き込まれた近代性の記号、すなわち地図、徴兵制、衛生学の歴史性を追跡し、それらが近代的国民軍の要請によって整備されたものであることを確認する。そのうえで、宗朝と、富山の薬売り・次郎との分身関係を分析することを通じて、「高野聖」が、不気味な動物的他者が表徴する脱国民的身体への憧憬を保存していたという読解を提示する。最後に、孤家の女が統治する「代がはり」の世界の意味を考察し、壮健な男をもはや戦うことのできない動物に変じる女の魔力が、国民国家にとってサブヴァーシヴな力をもつことを明らかにする。鏡花は、このような異界を仮構することで、対外戦争へと向かっていく近代日本の国民の生きる空間を逆照射し、それに異議を申し立てるようなヘテロトピアを描いている。
著者
堀井 一摩
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.12, pp.283-297, 2014

本稿の目的は、幸徳秋水のキリスト教批評『基督抹殺論』(丙午出版社、1911 年)と森鷗外の短編小説「かのやうに」(『中央公論』1912 年1 月)を、近代史学と皇国史観との歴史的緊張関係の中に位置づけて読み直すことである。草創期の日本近代史学を担った重野安繹や久米邦武等の「抹殺論」と呼ばれる考証史学の実践とこの二つのテクストとのインターテクスト性を浮かび上がらせる作業を通じて、南北朝正閏論争で顕在化した実証史学の弾圧に対して、この二つのテクストがいかにして「抹殺論」を甦らせようとしているかを分析する。その過程で、『基督抹殺論』と「かのやうに」の応答関係とともに、「抹殺論」甦生の試みが閉塞的な同時代に対してもつラディカルな批評性を明らかにした。
著者
堀井 一摩
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.225-240, 2016-03-01

本稿は、泉鏡花の「高野聖」における不気味な他者たちの表象が日清日露戦間期の日本社会においてどのような意味を担っていたのかという問題を考察する。まず「高野聖」に書き込まれた近代性の記号、すなわち地図、徴兵制、衛生学の歴史性を追跡し、それらが近代的国民軍の要請によって整備されたものであることを確認する。そのうえで、宗朝と、富山の薬売り・次郎との分身関係を分析することを通じて、「高野聖」が、不気味な動物的他者が表徴する脱国民的身体への憧憬を保存していたという読解を提示する。最後に、孤家の女が統治する「代がはり」の世界の意味を考察し、壮健な男をもはや戦うことのできない動物に変じる女の魔力が、国民国家にとってサブヴァーシヴな力をもつことを明らかにする。鏡花は、このような異界を仮構することで、対外戦争へと向かっていく近代日本の国民の生きる空間を逆照射し、それに異議を申し立てるようなヘテロトピアを描いている。