- 著者
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堀井 一摩
- 出版者
- 東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
- 雑誌
- 言語情報科学 (ISSN:13478931)
- 巻号頁・発行日
- no.12, pp.283-297, 2014
本稿の目的は、幸徳秋水のキリスト教批評『基督抹殺論』(丙午出版社、1911 年)と森鷗外の短編小説「かのやうに」(『中央公論』1912 年1 月)を、近代史学と皇国史観との歴史的緊張関係の中に位置づけて読み直すことである。草創期の日本近代史学を担った重野安繹や久米邦武等の「抹殺論」と呼ばれる考証史学の実践とこの二つのテクストとのインターテクスト性を浮かび上がらせる作業を通じて、南北朝正閏論争で顕在化した実証史学の弾圧に対して、この二つのテクストがいかにして「抹殺論」を甦らせようとしているかを分析する。その過程で、『基督抹殺論』と「かのやうに」の応答関係とともに、「抹殺論」甦生の試みが閉塞的な同時代に対してもつラディカルな批評性を明らかにした。