著者
大久保 等
出版者
八戸学院短期大学
雑誌
八戸学院短期大学研究紀要 (ISSN:21878110)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.45-57, 2016-03-31

宮沢賢治の詩の解説や一つの詩の中の部分的解釈は、多数の専門家によって試みられている。しかし、一つの詩の全体を通した現代語解釈は今まで見つけることができなかった。今回、宮沢賢治の詩の代表作の一つ『春と修羅』という詩について、幾つかの解説書を参考にして、また一部に筆者による具体的な説明を付け加えて詩全体の現代語解釈を試みた。 筆者は、宮沢賢治が、仏教の求道者としての生き方を探して苦しみもがいている描写と、まだ浅い春の、明るい日中の景色の描写との対比や、修羅としての賢治の感情が糸杉林の精神と交わり現実の感覚を失っている描写と、嵐がくる前の流れる雲や稲光が発光する描写との対比は、他に類を見ない、臨場感のある優れた映像効果を生み出していると考える。
著者
大久保 等
出版者
八戸学院大学短期大学部
雑誌
八戸学院大学短期大学部研究紀要 (ISSN:21878110)
巻号頁・発行日
no.45, pp.16-29, 2017-12-22

宮沢賢治の詩『序』について、大乗仏教の求道者としての生き方を重視した、現代語解釈を試みた。『序』を要約すると、宮沢賢治は「生きている私という生命現象は、大きな生命の流れが輪廻を繰り返すこの世界の法則として、過去から仮定されていた現象である。その現世に、私は『心象スケッチ』という手法で書き記した詩を残して行く。その私が書き残したものは、厳密には、私が主張したい通りの正しい内容で他の人に伝わることはない。私と他の人には、『共通認識しか共有できない』という問題が存在する。いつかこの『共通認識しか共有できない』という問題は四次元研究の中で解明されるだろう。(その解明が成って、私の主張したい事が、初めて正しく他の人々に伝わるだろう)」、と云っている。