著者
大城 渡
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.16, pp.17-34, 2010-02

本稿では,2009年4月に沖縄県立美術館で行われたある企画展において,昭和天皇をモチーフにした作品を県美術館が非展示措置とした問題を素材として,憲法が基本的人権として保障する「芸術の自由」の意義と,地方自治法にその関連規定がある「公の施設」としての公立美術館のあり方が検討される。結論として,美術館のとった措置は,作品に反映された芸術家の人格や芸術の自由への適切な配慮を欠いた不当な措置であり,そして,行政当局により恣意的に選別されることのない多様な芸術作品を自由に鑑賞する一般公衆の知る権利や思想良心の自由を害するおそれがある。県美術館は本来その多様な利用形態にこそ特色のある,専門性ある公の施設である以上,住民にとって恣意的(と疑われるよう)な展示作品の選別は許容されない。今回の問題は,専門的かつ合理的な展示作品の選別の方法も含む,県美術館運営のあり方に大きな課題を残したと評価せざるを得ない。This article considers the recent case of the Okinawa Prefectural Art Museum's refusal to exhibit artwork involving the Emperor Showa. It focuses mainly on Government Speech in relation to several constitutional rights, including freedoms of thought and conscience and the freedom of artistic expression. It also examines the roles which public facilities such as art museums should fulfill. Although it is increasingly important that the modern state continues to encourage the cultural and artistic expression of individuals or organizations through substantial subsidies, public museums should not be permitted to censor exhibited works of art arbitrarily.
著者
大城 渡
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.18, pp.15-46, 2011-02

本稿は、住民生活に重大な影響をもたらし得るにもかかわらず、その根拠となる体系的法令を有さない不発弾処理行政の構造をできる限り明らかにし、その法的課題を検討する。わが国には、かつての戦争の影響により全国各地(特に沖縄)に多くの不発弾が埋没している。不発弾処理の実際は、自衛隊や自治体、交通機関等多くの公私諸機関の連携によってなされるが、必ずしも明確な法令上の根拠を有するものではなく、法的責任の所在を暖昧にする要綱・通達に依拠しているところもある。そのため、行政のあり方として問題点も少なくなく、例えば、そもそも何れの行政機関が不発弾処理につき第一次的法的責任を負うのか未だ明確には定められておらず、また、不発弾が爆発した際の被災者に対する実効的救済をどのように図るか等、法的には未整備な点も多く見受けられる。他方、不発弾爆発事故をめぐるこれまでの司法判決に見出せる論理に依拠すれば、国の責任で惹起された戦争行為によって不発弾がもたらされ、かつその不発弾を放置することによる事故の危険性や生じ得る被害を合理的に予想することができ、さらに不断の探査や処理等を真摯に行うことでそのような事故の発生を可能な限り回避できるため、国の法的責任は明確に認められうる。但し、それでもなお被災者には、その救済に裁判という多大な負担を求めるものとなってしまう。現代に引き継がれ残された「戦争の惨禍」たる不発弾の処理について、国は、戦後処理の一環として、あるいは憲法上の「平和主義」の趣旨に適うものとして、被災者を救済し、自らの法的責任を明らかにする体系的な法令を早急に整備し、住民の生命や生活の安全を確保すべき憲法上の責任を誠実に果たさなければならない。This article clarifies the process and related legal questions concerning the public administration of bomb disposal. In Japan (particularly in Okinawa), many unexploded bombs remain from the last war. The public administration for their disposal is a cross-agency process involving the Self-Defense Forces, the police and the local municipality. But because it is based mainly on executive rules rather than legislative laws, the legal liabilities are vague, and defects in the system lead to the absence of effective relief for casualties. Past judicial rulings following disastrous explosions clearly indicate the legal liability of the state. However, taking cases to court for relief will certainly impose heavy burdens on the casualties. They need recourse to systematic law. In the spirit of constitutional pacifism, the central government must take full constitutional responsibility for the disposal of unexploded bombs both at home and abroad.
著者
大城 渡
出版者
九州大学
雑誌
法政研究 (ISSN:03872882)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.131-139, 2002-07-19
著者
大城 渡
出版者
九州大学
雑誌
法政研究 (ISSN:03872882)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.567-581, 2001-10-17