著者
大西 公恵
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.57-70, 2016-03-11

国語教育は言語教育的側面と人格陶冶的側面のいずれを強調するか、すなわち形式主義と内容主義とのいずれを主たる目的とする教科であるかが長く論争となってきた。1930年代初期は、新教育思潮を背景として興隆した1920年代の文芸鑑賞論の潮流が、形象論にもとづき「理会」と認識を追究する形式主義へと転換する過渡期である。東京高等師範学校附属小学校で開催された第34回全国小学校訓導協議会では、国語科の教育目的が再考され、生活論と文芸鑑賞論との融合を目指して新しい国語教育の目標を構築しようとする試みがなされた。本稿では、同協議会での議論を通して、教師たちによる国語科の教育目的の再考および教科としての自律性の模索のありようを示す。
著者
大西 公恵
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.9, pp.57-70, 2016-03

国語教育は言語教育的側面と人格陶冶的側面のいずれを強調するか、すなわち形式主義と内容主義とのいずれを主たる目的とする教科であるかが長く論争となってきた。1930年代初期は、新教育思潮を背景として興隆した1920年代の文芸鑑賞論の潮流が、形象論にもとづき「理会」と認識を追究する形式主義へと転換する過渡期である。東京高等師範学校附属小学校で開催された第34回全国小学校訓導協議会では、国語科の教育目的が再考され、生活論と文芸鑑賞論との融合を目指して新しい国語教育の目標を構築しようとする試みがなされた。本稿では、同協議会での議論を通して、教師たちによる国語科の教育目的の再考および教科としての自律性の模索のありようを示す。